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宮本常一が所長を務めた近畿日本ツーリスト・日本観光文化研究所発行の月刊誌
「あるくみるきく」195号(1983年5月)の特集「沖家室 瀬戸内海の釣漁の島」
の再版。写真を選び直し、詳細な索引をとったうえで解説を付す。1冊まるごと特集、
という伝説の雑誌を甦らせる初の企画。
[著者]
森本 孝(もりもと・たかし)
1945年大分県生。福岡県立東筑高校、立命館大学法学部卒業。日本観光文化研究所所員、国立水産大学校教員等を経て、
現在潟Gコーのアソーセイツとして海外の漁村調査、漁港建設基礎調査に従事。著書・共著に「東和町誌 各論編第3巻 漁業誌」
(旧東和町教育委員会)、「海の暮しとなりたち」(ぎょうせい)、「ヤシの実のアジア学」(コモンズ)等。編著に「鶴見良行著作集 第12巻 フィールドノートU」(みすず書房)、
論文に「移動分散する漁民社会」「モロッコ国の零細漁村振興の現状と課題」等。
須藤 護(すどう・まもる)
1945年千葉県生。武蔵野美術大学建築学科卒業。日本観光文化研究所所員、放送教育開発センター助教授を経て、現在龍谷大学教授。著書.共著に「東和町誌 各論編第2巻 集落と住居」
(旧東和町教育委員会)、「暮しの中の木器」(ぎょうせい)、「中国朝鮮族の民俗文化」(第一書房)、「ものからみた朝鮮文化」(新幹社)、
「学問の現場、現場の学問」(世界思想社)など。現在、中越地震で大きな被害を受けた、新潟県旧山古志村の人々に元気を取り戻してもらうために、写真集の編集に従事している。
新山玄雄(にいやま・しずお)
1950年山口県沖家室島生。立命館大学法学部卒業後佛教大学文学部に編入。卒業後帰郷して自坊の浄土宗泊清寺を継ぐ。現在は住職で、総本山知恩院布教師。
1975年、島から離れて国内外に暮らす出身者に向けての寺報「潮音」を創刊。周防大島出身の民俗学者宮本常一の薫陶を受け、東和町郷土大学(現周防大島郷土大学)設立に参画、企画部長。2001年には、先々代住職を中心に、
世界各地の島出身者に向け1914年から40年まで通巻158号が発行された同郷誌「かむろ」の復刻に着手した。町議7期目、現在周防大島町議会議長。同社会福祉協議会会長。
[目次]
沖家室という島(森本孝)
1 海から見た沖家室(森本孝)
2 陸から見た沖室室(須藤護)
おわりに(須藤護)
[コラム]我が島 沖家室(新山玄雄)
盆に沈む島/移民/石垣/峰松/道/念仏島/古墓様/泊清寺/鱶地蔵/海賊浦/御舟倉/医療/過疎/子供たち/島に架ける橋
島の盛衰と絆――復刻にあたっての解説(新山玄雄)
◆ 中国新聞2006年8月31日付 文化面
山口県周防大島出身の民俗学者宮本常一(1907-81年)が初代所長を務めた日本観光文化研究所(観文研)のPR誌「あるくみるきく」。22年間に発行された263冊のうちの一冊「瀬戸内海の釣漁の島・沖家室(おきかむろ)」が、みずのわ出版(神戸市)から再版された。「あるくみるきく」は宮本の考え方を象徴する言葉でもあるが、PR誌という性格上、88年の休刊後は入手困難な「伝説の雑誌」になっていた。
観文研は近畿日本ツーリストが66年に設立し、89年に活動停止。旅を通じた地方文化の復権が大きな目的だった。給料を支払う常勤者は最小限に抑え、初めて原稿を書く若者、使える原稿が書けるかどうか分からない若者に旅費や原稿料を支払って取材させ、宮本ら編集陣が辛抱強く鍛えた。これが宮本の方針であり、「旅費付きの大学院」とも呼ばれた。
海外の辺境も取材
「あるく…」はこうした手法により一冊一テーマで編集。分野は民俗、風土、芸能など幅広く、日本列島各地はもとより海外の辺境にも足を延ばした。中国地方の特集号は「芸予叢島」「豊松ぶらぶら」「山と猪と狩人と―周防の玖珂山地」など20冊があり、周防大島の属島、沖家室島(旧東和町)を取り上げた「瀬戸内海の釣漁の島・沖家室」(83年)はその中の一冊になる。
執筆者は、いずれも当時、観文研所員だった海外漁業コンサルタント森本孝さん(60)=千葉県船橋市=と龍谷大教授須藤護さん(61)=大津市。森本さんは「海から見た沖家室」と題して、明治以降、ハワイや朝鮮などへ出漁した一本釣り漁民の歴史を説き起こし、須藤さんは「陸から見た沖家室」と題して独特の漁家の家並みについて解明した。いずれも「東和町誌」を監修した宮本の意向を受けていた。
レイアウトを一新
今回の再版は同島が今年、「開島四百年」を迎えたのがきっかけ。島出身者の子孫である版元の柳原一徳さん(36)が、当時から執筆者と交流があった400年記念事業実行委員会会長の新山玄雄さん(55)=泊清寺住職=に働きかけた。底本のままの再版ではなく、レイアウトを一新。写真を選び直し、誤記を改め、索引や新山さんの解説を付けた。
「あるく…」が再版されるのは休刊後初めて。須藤さんは「あるく…」は素人の目で丹念にものを見つめさせ、一冊ごとに時間をかけて考察・推敲していた、と振り返る。「今の若い人たちが旅を通して一つの問題に取り組み、解決方法を見つけ出すためのテキストになればいい。また、『あるく…』は結果の報告だけでなく、取材・調査の“手の内”も見せており、宮本流のものの見方や考え方が伝わってくる」とみる。
柳原さんは「校正ミスは多いが、編集自体は丁寧で一つの時代の勢いがある。雑誌の存在自体を知らない人も多くなった。各号の内容をしっかり押さえ、地域の再発見などにつなげてくれそうなフィールドを選んで、今後も一冊ずつ再版を手がけたい」と構想を練っている。
再版は「沖家室 瀬戸内海の釣魚の島」と改題し、沖家室開島400年記念事業実行委員会編。A5判、102ページ、1365円。みずのわ出版Tel078(242)1610(ファクス兼用)。
沖家室島
1606(慶長11)年、伊予国河野氏の遺臣が興居島(現松山市)から無人島だった島に定住。明治期には人口3000人を超え、出稼ぎ漁と海外移民が盛んになる。大正期から昭和初期の動きは、2001年から復刻作業が始まった同郷誌「かむろ」からうかがえる(3巻まで既刊)。今年3月末現在の人口187人。83年に沖家室大橋が開通し、周防大島と陸続きになった。
(佐田尾信作 署名記事)