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[解説]
「宮本学」は今も途上にある。地方紙記者が生誕の地・周防大島に腰を下ろし、さまざまな分野で志を継ぐ人たちとの対話を通じて描いた新たな宮本常一像。中国新聞連載に大幅加筆。宮本ゆかりの人びと14人へのインタビューを収録。
[著者]
佐田尾信作(さたお・しんさく)
1957年島根県出雲市生。大阪市立大学文学部卒業後、80年中国新聞入社。編集局文化グループ記者。著書に『移民』(共著、中国新聞社)、『宮本常一 旅の原景』(共著、みずのわ出版)など。
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[目次] |
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プロローグ 周防大島と対馬 ─ ゆかりの島に残る足跡 |
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第1章 周防大島から…今 『かむろ』再び 受け継ぐ町誌 町衆と歩んで 原点の海辺 知の財産 |
島の通信、思い馳せ復刻 未完のテーマ「仲間」へ 民具収集に奔走した日々 潮香る記憶、後進導く 写真や文献生かす空間 |
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[インタビュー] 1 町衆の町・久賀と宮本常一 2 スイドウ研究から民具収集へ |
中村信義(印刷業) 藤谷和彦(元教員・郷土史家) |
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第2章 「中国風土記」の地脈 始まりの旅 ─ 石見路 広島の同志たち 旅する庶民 石見人との四十年 芽生えた種 「長い歩み」 |
「幸せな山村」─著作の原風景 復興への熱情、親交生む 語りの世界、自ら体験 地道に素朴に歩み共有 文献復刻、受け継ぐ志 人々への愛着を評価 |
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[インタビュー] 3 「中国風土記」の時代 4 「宮本常一」なら何でも買う 5 人々への愛情と執着 |
神田三亀男(民俗学者・歌人) 石踊一則(古書店「あき書房」店主) 碓井巧(広島文教女子大学教授) |
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第3章 あるくみるきく、そして… 脱・研究室 個人史発掘 「交流」の意味 「絵解き」の教え 旅費付き大学院 |
人の寄る島、もう一度 「対話」深め、調査に希望 「遺産」生かし、島語る場 時代に合った視点探る 気ままに活動、わが道へ |
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[インタビュー] 6 「語り」のもつ力 |
印南敏秀(民俗学者・愛知大学教授) |
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第4章 ひとすじの道 野にありて 言葉の道標 もう一つの大学 基層文化 畦道の教室 |
実測のプロ、師の先行く 必然がいい物を生む 「戒め」胸に地域と学ぶ 土着の踏んばり、映像に 速足の師を追って |
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[インタビュー] 7 物の生まれる根本を説く 8 師として同郷人として |
多々納弘光(陶工・出西窯創業者) 財前司(民俗芸能研究者) |
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第5章 語り合う実像 東アフリカをゆく 何げない写真 十万枚の記録 「離島」への思い 最後の楽しみ 一貫した人生 |
歩き、話し、撮った六千枚 「説明」以上の文で輝く 鮮明な記憶の引き出し 地域の頑張り、伝え歩く 書き急いだ列島論 足し算の人間関係 |
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[インタビュー] 9 宮本常一の写真を読み解く 10 なぜ離島振興だったのか 11 「宮本学」の到達点 |
須藤功(民俗学写真家) 鈴木勇次(日本離島センター) 須藤護(民俗学者・龍谷大学教授) |
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第6章 有縁の地へ… 島の信奉者たち 現代の「杣」 県境の村里 切り結ぶ男たち 旅の終わり |
深い愛着、村と人動かす 雑木林生かし、定住へ 豊かな山村、癒しの地 猿まわし復活へ燃えつきる 帰郷 ─ それぞれの意味 |
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[インタビュー] 12 裂織りを伝承する 13 復活への大いなるシナリオ 14 「宮本学」は「未来学」 |
柳平則子(相川郷土博物館学芸員) 村崎洋一(周防猿まわしの会代表) 新山玄雄(周防大島郷土大学企画部長) |
| エピローグ─生誕地からの発信 | |
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[コラム] 1 アチック・ミューゼアム 2 黎明の地・大阪 3 郵便局員時代 4 架橋二十年 ─ 沖家室島 5 ビデオでネットで 6 日本一の長寿郷 7 グローバルな発想 8 受け継ぐ島─佐渡 9 鼓童 10 裂織り |
「宮本学」のゆりかご 子らと歩み、村の聞き書き 路地の奥、訪ね歩く 島に今も息づく「遺言」 古里情報発信「カムロ放送局」 「生涯現役」の暮らし活写 戦前から世界視野 民具集め、職人村を構想 「その足が文化を生み出す」 調査に同行…伝承者に |
◆ 中国新聞2004年2月8日付
赤い色のさめた布靴に、身軽な旅装で、広島にたびたびおいでになった民俗学者宮本常一先生の在りし日の姿をよく思い出す。 私の書斎には、先生宅で書いてもらった色紙を掲げている。「いつもおもっていることは いつか達せられる」。81歳という老骨になった私だが、この言葉に励まされて仕事をしている。 先生は、人を見て法を説く人であった。私が広島県庁で農政を担当していたころは、農業振興とかかわる話をよくして下さった。中国新聞の連載に加筆した佐田尾記者の新著「宮本常一という世界」を読むと、そうした人の業績や、人となりがよく描かれている。 島根県瑞穂町の「粒々辛苦」の著者田中梅治や、同県桜江町の牛尾三千夫。新潟県佐渡のおけさ柿の振興など、くわしく話して下さった。「柿をだよ、メロンのようにスプーンで、すくって食う柿なんだ」と。にこやかな顔が忘れられない。 宮本先生は、昭和30年代離島振興に力を注ぎ、離島振興法の制定に貢献されたが、そのきっかけをこの本で知った。前広島県知事竹下虎之助氏が、島根県の主査時代に、「島根独自の法律の制定を提唱しておられたのに、共鳴されたことが、動機となった」そうだ。この本はこうした裏話も明らかにしている。周防の猿まわしの復活への力の入れようも、くわしく回想されていて興味深い。 記者は、よい時期に、宮本先生の事跡に切り込み、この本をまとめたものと思う。あと数年もしたら私も、そして多くの語り部が消え去っているだろう。 先生は、郷土への思い入れの深い人であった。この本には、先生の言葉が多く収録されている。それは先生の名言である。 「地域はそこに住むものが、自らつくっていかなければ、決してよくなることはない」 「自然は寂しい。しかし人の手が加わると、あたたかくなる」 「小さくても収入になる農業を考えよ」