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4000日を旅に暮した昭和の世間師、その時空を越えたエネルギー
民俗学者宮本常一(1907-1981)は、生涯のうち4000日以上を民俗調査に充てた。3000を超える地域を訪ね、
子どもや労働に汗を流す男や女たち、街角、橋、看板、洗濯物――とあらゆるものにレンズを向けてきた。
戦後だけで約10万枚。生誕の地、山口県周防大島町で2004(平成16)年開館した周防大島文化交流センターが
保管している写真のうち77点から、九州・山口の戦後、そして高度成長期を挟んで激しく変貌した日本の足跡をたどり、
「いま」を描く。
[佐野眞一(ノンフィクション作家)解説より]
本書は、生まれ故郷の山口県周防大島町以西の九州各地を歩いた宮本常一の足跡を、宮
本が撮影した写真をもって再訪したルポである。写真のなかの関係者を新聞記者が探し歩
いて、その地域に流れた30年から50年の時間をあらためてたどり直し、日本人が忘れてし
まった記憶を蘇らせようとする好企画である。(中略)
宮本が日本列島の隅々まで残した旅の足跡は、やはり偉大である。初対面の相手を百年
の知己のように結びつけてしまう力こそ、宮本の持つ時空を越えた静かなエネルギー
である。
[目次] |
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プロローグ
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「豊かさ」夜明け前 | ―― 昭和35年 浮島(山口県) |
T 昭和20年代 |
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移住者の誇り刻む 農村振興支えた私塾 歓迎の舟グロー |
―― 昭和25年 対馬(長崎県) ―― 昭和22年 西合志(熊本県) ―― 昭和26年 対馬(長崎県) |
U 昭和30年代 (1) |
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父の教え 俯瞰の視点 時代に消えた「街の顔」 地名に残る苗木園跡 教会 日常の中心に 古い温泉街に新しい風 |
―― 昭和31年 周防大島(山口県) ―― 昭和32年 日出(大分県) ―― 昭和32年 日向(宮崎県) ―― 昭和32年 田野(宮崎県) ―― 昭和33年 天瀬(大分県) |
V 昭和30年代 (2) |
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以西底引き網漁最盛期 フラフープ大流行 通潤橋の偉業たたえ 蒲鉾職人の心に惚れ 古里の風景に安らぎ 企業誘致で街に活況 離島振興へ仲間と集う 鉄都の象徴 東田高炉 |
―― 昭和35年 福岡市 ―― 昭和35年 上関(山口県) ―― 昭和35年 矢部(熊本県) ―― 昭和35年 萩(山口県) ―― 昭和35年 周防大島(山口県) ―― 昭和35年 串木野(鹿児島県) ―― 昭和35年 指宿(鹿児島県) ―― 昭和35年 八幡(福岡県) |
W 昭和30年代 (3) |
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水産業衰退を予言 島の女が作った道 今は昔の自宅披露宴 子どもの世界 見守る浜 |
―― 昭和36年 野母崎(長崎県) ―― 昭和36年 小値賀(長崎県) ―― 昭和36年 周防大島(山口県) ―― 昭和36年 野母崎(長崎県) |
X 昭和30年代 (4) |
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ミカン増産 情熱の日々 枝ぶり堂々 千三百年の杉 茅葺き消えても快適 日本海にもまれて 海の子はこうして育つ 籠の美に魅せられて 島の暮らし 船頼み 子どもの歓声 今は昔 |
―― 昭和37年 西有田(佐賀県) ―― 昭和37年 小国(熊本県) ―― 昭和37年 五家荘(熊本県) ―― 昭和35年 見島(山口県) ―― 昭和37年 見島(山口県) ―― 昭和37年 蘇陽(熊本県) ―― 昭和37年 対馬(長崎県) ―― 昭和37年 佐賀市 |
Y 昭和30年代 (5) |
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「銀座」今は面影なく 難所の県境で国道整備 島の食堂 人生刻む 「浜子」が支えた塩田 路面電車で猿見物 五輪特需は民具にも 名士訪問 村あげ歓迎 |
―― 昭和38年 柳井(山口県) ―― 昭和38年 宇目(大分県) ―― 昭和38年 長島(鹿児島県) ―― 昭和39年 三田尻(山口県) ―― 昭和38年 大分市 ―― 昭和39年 弥生(大分県) ―― 昭和38年 姫島(大分県) |
Z 昭和40年代 |
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陳情不要の分権説く 乱開発へ危機感 師を待つ港 緊張の春 木材需要に応えた希望の杉 筑豊の盛衰見届け 栄枯盛衰 牛の声 ミカン畑、経塚も消え |
―― 昭和41年 中種子(鹿児島県) ―― 昭和41年 湯布院(大分県) ―― 昭和41年 西之表(鹿児島県) ―― 昭和41年 七山(佐賀県) ―― 昭和43年 田川(福岡県) ―― 昭和41年 七山(佐賀県) ―― 昭和41年 相知(佐賀県) |
[ 昭和50年代 |
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北へ南へ 女の行商 博多駅変えた新幹線 神話の里 伝承の舞 復興を生む絆 |
―― 昭和53年 都農・門川(宮崎県) ―― 昭和50年 福岡市 ―― 昭和53年 西都(宮崎県) ―― 昭和50年 玄界島(福岡市) |
エピローグ |
未来の島に膨らむ夢 四十五年後 それぞれ懸命に 民俗学 若い世代へ |
―― 昭和35年 浮島(山口県) ―― 昭和35年 浮島(山口県) ―― 昭和55年 周防大島(山口県) |
宮本常一データベースのこれから 監修にあたって 1 岡元博(周防大島文化交流センター) 現代の日本残酷物語 監修にあたって 2 大矢内生気(全国離島振興協議会・財団法人日本離島センター) 解説 時空を越えたエネルギー 佐野眞一(ノンフィクション作家) [執筆者一覧(50音順 所属は連載当時)] 赤井孝和 鹿児島支局/井手祥雄 大分支局/岩永芳人 熊本支局/牛島康太 熊本支局/内田正樹 宮崎支局/浴野朝香 佐賀支局/大石健一 宮崎支局/大野亮二 宮崎支局/尾谷謙一郎 筑豊支局/垣野博昭 山口総局/北川洋平 大分支局/木野千尋 鹿児島支局/後藤将洋 社会部/坂本宗之祐 佐賀支局/篠原太 長崎支局/島居義人 長崎支局/白石史子 山口総局/田中博之 大分支局/谷口愛佳 山口総局/寺垣はるか 熊本支局/長田泰弘 北九州総本部/西村康英 社会部/馬場豊 鹿児島支局/細川紀子 山口総局/松浦篤 長崎支局/右田和孝 社会部/見田真一 山口総局/毛利雅史 熊本支局/森洋二 大分支局/横木稔郎 山口総局/吉田均 佐賀支局 [担当デスク] 一ノ瀬達夫(社会部) |
◆ 読売西部本社版・文化面
◆ 2006年7月7日付
読売新聞西部本社版に2005年1月から12月まで50回にわたり連載された「にっぽんの記憶 旅する巨人宮本常一の時空」が、一部タイトルを変えて本になった。民俗学者の宮本常一(1907〜81)が残した写真の撮影場所を訪ねた記者たちは、被写体になった人々を捜し求め、現在の風景を写真に重ねた。変貌する土地と人のドラマに触れた記者たちの感動までもが伝わってくる。
連載の最初と最後の計3回、同じ写真が取り上げられている。宮本の故郷・山口県周防大島町の離れ小島、浮島の子どもたちを写したものだ。宮本が生涯に残した10万枚を超える写真の中で、記者たちが最も興味を覚えた1枚だったという。
宮本がこの島を訪れたのは1960年10月26日。約40人の子どもたちが木造船の甲板いっぱいに乗っている。男の子はほとんどが丸刈りで、女の子はおかっぱ。笑ったり、にらんでいたり、表情はさまざまだが、どの顔も生命力にあふれている。その時代を知らない者も懐かしさを感じるような写真だ。
取材時に、島に残っていたのは、このうち10人足らず。中学を終えると、大阪方面に集団就職した人が多かったという。会社の倒産や離婚の経験を語った人もいた。写真が撮られたころには150人を超えていた島の小学生も18人に減っていた。記者は「宮本の撮影から四十五年。子どもたちは離島の現実と向き合いながら、懸命に生きていた」と報告している。
取り上げた写真は九州・山口で撮影された77枚。どの写真にも浮島と同じようなドラマがあった。取材を受けた人々は1枚の写真をきっかけに、当時の思い出やその後の人生を語った。
<初対面の相手を百年の知己のように結び付けてしまう力こそ、宮本の持つ時空を超えた静かなエネルギーである> と、ノンフィクション作家の佐野眞一さんが解説に書いている。
◆ 朝日新聞2006年8月27日付
企画が抜群の本だ。主役は、生涯の4000日を旅に暮らした民俗学者・宮本常一と、彼の写真で切り取られた昭和の懐かしい風景及び人物達。
「多くが、やがて消えゆくに違いない」との思いから、宮本は民俗調査や農業指導で訪ねた先々で、様々なものにレンズを向けた。本書はそこに記録された風景と人物を追い求め、宮本生誕の地・山口から九州まで彼の足跡を多くの新聞記者が取材したルポだ。
貧しくも、自然の美しさと心の豊かさがどこにもあった。戦後から高度成長期を挟み、激しく変貌した日本。物質的豊かさを獲得した一方、失ったものは大きい。宮本が撮った写真と、同じ場所の今を取材した記者達の思いのこもった文章は、この30年、50年の間に日本人が何をどう失ったかを強烈に訴えかける。
撮影場所の多くは、離島や辺鄙な町や村。高度成長から取り残された所だ。宮本の古い写真には、まだ元気だった農業、牧畜業、林業、漁業、製塩業など、日本を支えた第一次産業と結び付く風景が活写されている。今残っていれば、自然と人間の営みが調和した文化的景観の価値を持つものばかりだ。
開発で道路や橋が建設される以前、宮本が訪ねた離島や海辺の古い町や村には、港に船の賑わいがあった。連絡船でだけ他の地域と経済も文化も繋がっていた。宮本は生活改善のため橋や道路の建設を応援はしたが、地域の自立こそが重要だと説いた。だが現実には、便利になるほど都会に力を奪われ過疎が進んだ。
シャッター通りと化した商店街の賑わいも今は懐かしい。山口県柳井の町での宮本の観察眼は鋭かった。彼に批判された銀座の名前をもつ商店街は今や寂れ、逆に評価を受けた無名の伝統的町並みが観光の切り札となっている。宮本は優れた民俗学者である以上に、地域の生き方に対し慧眼を示し、彼の言葉が地元の人々を勇気づけたのだ。
人口減少化の成熟社会を迎えた日本。小さな町の自立や生活を切り捨て、首都圏や大都市への集中をこのまま続けてよいのか。本書はそう問いかけているようにも見える。