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[目次]
鶴見良行さんの手書き文字本の刊行に際して 森本孝
1 エビと魚と人間と――南スラウェシの海辺風景
1 はじめに
2 熱帯の大地と海
3 南スラウェシ
4 水の利用法
5 トビウオとナマコと都市貧民
6 舟と船
7 養魚池
8 むすび
2 フィールド・ノート 1983.7.27-9.17
7月27日〜8月13日
8月14日〜9月17日
判読不能箇所について
手仕事学問の面白さ――解説にかえて 村井吉敬
[著者]
鶴見良行(1926-1994)
アジアの社会・経済・文化ジャーナリスト、市民・社会運動家など多彩な顔を持つ。自身は晩年に「歴史ルポルタージュ作家」と自らを規定した。1926年米国ロスアンゼルス生まれ。1952年、東京大学法学部を卒業。在学中から従兄の鶴見俊輔の『思想の科学』の執筆に加わる。1955年、財団法人国際文化会館に入り、企画部長として海外の学者との交流招聘事業等に従事。米国のベトナムへの軍事介入が本格化した1965年、鶴見俊輔、小田実、吉川勇一らと「ベトナムに平和を!市民連合」を立ち上げ、戦争を忌避して軍を脱走した米兵の支援活動等を行う。1970年に最初の論集『反権力の思想と行動』(盛田書店)を刊行。アジア諸国と西欧列強、日本との政治、歴史、社会・経済関係をアジアの民衆側の視点から探り、アジアの民衆と日本の民衆が対等に付き合える社会状況の実現のために活発な言論、執筆、社会運動を行った。既存の大学アカデミズムを鋭く批判し、アジアの現場に足を運んで実情を把握し、そこから発言、行動する「歩く学問」を提唱した。1989年63歳で龍谷大学経済学部特任教授に招聘され、同僚の中村尚司と共同で「民際学講座」を開き、民間人によるアジア研究とアジア交流の育成に尽くすも、1990年に食道癌で手術入院。退院後もアジア島嶼社会を歩き続けたが、1994年12月16日未明、自宅で心不全のため急逝した。享年68。
多数の著作を著したが、多国籍企業によるフィリピンのバナナ農園労働者の収奪構造を追及した『バナナと日本人』(岩波書店、1982年)は、アジア社会・経済学者や社会運動家の必修の書となった。『ナマコの眼』(筑摩書房、1990年)は新潮学芸賞を受賞。
鶴見の残した著作、取材ノート、メモとカード、写真、書籍類は、遺族の鶴見千代子によって埼玉大学共生社会教育研究センターに寄贈され、「鶴見良行文庫」として一般に公開されている。
主要単著には没後刊行分を含め以下のものがある。
『反権力の思想と行動』 ♣盛田書店 1970年
『アジア人と日本人』 ♦晶文社 1980年
『アジアを知るために』 ♥筑摩書房 1981年
『マラッカ物語』 ♠時事通信社 1981年
『アジアはなぜ貧しいのか』 ♣朝日新聞社 1982年
『バナナと日本人』 ♠岩波書店 1982年
『マングローブの沼地で』 ♣朝日新聞社 1984年
『海道の社会史』 ♣朝日新聞社 1986年
『大地と海と人間』 ♥筑摩書房 1986年
『アジアの歩き方』 ♥筑摩書房 1986年
『辺境学ノート』 ♦めこん 1988年
『エビとナマコはどこから』 ♠新幹社 1988年
『ナマコの眼』 ♥筑摩書房 1990年
『アラフラ海航海記』 ♦徳間書店 1991年
『東南アジアを知る』 ♥岩波書店 1995年
『ココス島奇譚』 ♠みすず書房 1995年
『鶴見良行著作集』全12巻 ♠みすず書房 1998-2004年
『対話集 歩きながら考える』 ♣大田出版 2005年
[用紙/刷]
ジャケット パミス 雪 四六判Y目100kg 4゜
表紙 パミス 白 四六判Y目200kg K/1°
見返し OKミューズバナナ オリーブ 四六判Y目120kg
別丁グラビア コスモエアライト A判T目55kg 4°
本文 淡クリーム琥珀N A判T目 46.5 kg