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本屋の眼番外 神戸・本屋漂流記


画=林哲夫「本屋の眼」より
将来の単行本化を前提とした月イチ更新のコーナー、です。
この先、少しずつコンテンツを充実させていく所存です。
次回更新は2012年4月の予定です。
                          2012年1月19日更新

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(← 林哲夫・画/平野義昌「本屋の眼」より)



第31回 第32回 第33回


【第33回】海文堂書店のあゆみ、など
   平野義昌(海文堂書店)


 海文堂書店のあゆみ

 2011年

1月 代表取締役・岡田吉弘が退任し、岡田節夫が就任。
2月27日 吉弘逝去。節夫が「海文堂出版」代表兼任。
3月11日


東北東日本大地震、大津波、福島第一原子力発電所爆発。のち名称「東日本大震災」に。青森県南部から関東にかけての広い範囲が被災する。
3月11〜21日

「第9回 海文堂の古本市」に「つのぶえ」初参加(元・元町に店舗、現在は長田)
3月15日

大震災の影響により自動車燃料不足、トーハン・日販は隔日配送。22日より従来どおりに。
3月28日

仙台の出版社「荒蝦夷」全点フェア開催、「激励の言葉より本を売る!」をキャッチフレーズにする。多くのメディアに紹介していただく。
4月19日 「岡田吉弘お別れの会」東京・日本出版クラブ会館。
4月20日

『ほんまに』第13号発売。特集「中島らもの書棚」、中島家の全面協力をいただく。
4月23日

「森達也トーク&サイン会」新刊『A3』と大震災取材。兵庫県映画センター内海さんの尽力。
4月30日・5月1日

両日、中島さなえ脚色「桃天紅」(中島らも作)大阪公演(シアターBRAVA)で出張販売。福岡、くとうてん一同。
6月24〜26日



「女子の古本屋による女子の古本市」開催。岡崎武志『女子の古本屋』(ちくま文庫)刊行記念。北は仙台、南は沖縄、計50店舗参加。25日は、岡崎氏、山本善行氏、廣瀬由布さん(岐阜・徒然舎)によるトーク。担当、北村、トンカ書店、ハニカムブックス。
8月27日 元重役・清水晏禎(やすよし)氏逝去。
9月 島田誠、新刊『絵に生きる、絵を生きる』(風来舎)刊行。
9月17〜19日 姫路の版画家・岩田健三郎原画展。神戸新聞総合出版センター協力。
9月23日
  〜10月10日
「第11回 海文堂の古本市」四国から4店舗参加。

10月28日 棚卸し。作家・田郁さん参加。
11月14〜16日 「下町おかんアート展」(下町レトロに首っ丈の会)
11月22〜23日

「復興の狼煙」ポスター展 くとうてん主催。盛岡・東京のカメラマンによるメッセージポスター展。23日、ボランティア報告会。
11月28日

『ほんまに』第14号発売。特集「東日本大震災と本」。今号をもって、しばらく休刊することに決定。

 昨年発見された「ブックカバー」のその後

 しばらくぶりの登場で申し訳ない。この1年近くの間、上記のように海文堂では経営者の死去、それに伴い交代があり、元重役の死去もあった。現経営者は健康であるけれども、その後? となると、あの伝統家よりも深刻な問題である。
 連載を休んだのは、一にも二にも私の責任。前回の原稿前に取材相手の心中を不本意ながら傷つける結果となり、聞き書きすることに怖気づいている。今後も未定だが、受け入れてくれる人もいそうなので、気長に取り組みたい。
 忘れてはいけない。この間に「みずのわ一コ」は、本拠を故郷に移した。世帯を持ったと聞く。めでたいことであるが、神戸は寂しくなった。地元出版社が一つなくなった。
 昨年(2010年)暮れにお客さんから寄贈していただいたブックカバーについて、現在まで判明していることを書いておく。と言っても、「カバー」自体についてはまだわからない。カバーの図柄である、楽譜と詩について。【写真1】↓、【写真2】↓

書皮1 書皮2
 ブログ「海文堂書店日記」に載せたところ、読者から、「大月みや子さんは、1970年頃小学2年生ではないか?」とお知らせをいただいた。ネットで検索してくださっていた。神戸新聞のサイトで、2005年4月10日の記事。
 神戸大学名誉教授中村茂隆さんが、1972年に小学生9人の詩に曲をつけ合唱曲をつくった。この詩は神戸新聞阪神版に連載されたもの。作者の児童の小学校で合唱し、児童合唱団でも歌われた。歌集も出版した。2005年歌集を再出版することになり、当時の児童たちに会いたいという話。
 知り合いの記者に調査を依頼した。丸投げした。05年に中村先生にインタビューしたのもその記者だった。記者の本棚か押入れか、その歌集と合唱のテープが発掘され、私の手元に届いている。
『混声合唱のための 組曲 むしのたまご』(マザーアース株式会社、2005年1月1日初版発行)
 9人のなかに確かに「大川みや子(西宮・上ヶ原小2年)」の名がある。
 歌集の「作品解説」から。
表紙
「1970〜1年、神戸新聞阪神総局の提案で、同新聞に連載されている阪神間の小学生の詩の中から、共感した詩を選んで作曲するということで、学生、教師、主婦など、さまざまの立場の人が参加し、できた作品を、その詩をつくった子供のいる学校へ、神戸大学のフォークグループ“龍の目の泪”が出向いて歌うという運動がはじまった。
 その頃、関西学院大学グリークラブ、神戸女学院音楽学部の卒業生達で結成された合唱団“コーロ・ノーボ”の指揮者・洲脇光一さんから提案があり、その中から私の作曲した歌を中心に合唱組曲として構成した。
「あそぼう」「ともだち」「時間」「かみさま」「ねごと」「言葉」「ほし」「むしのたまご」「なみだの世界」(うち「かみさま」は種谷章子、「ほし」は村岡知子――いずれも神戸大学学生――がメロディを作曲した)9曲からなり、いずれも小学生の素直で斬新な発想が、言葉に輝きを与えていることに驚嘆と感動をもって作曲した。〈作曲者より〉」(太字は平野による)

 詩の出処は以上のとおり。調査続行する。【↑↓写真2点】

譜面





































(2011年12月記)



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【第32回】海文堂書店のあゆみ、など
   平野義昌(海文堂書店)


書皮1
 原稿遅延のお詫び、かつての同僚にインタビューをお願いしたものの、両者の意思疎通がうまくいかず文章化及び公表について、取材相手の同意を得られず。すべて私、平野の責任。よって、今回は写真でご勘弁を。
↑[写真1]海文堂の書皮

 まず、海文堂の書皮[写真1〜3]。私の顔と頭、無視お願い。撮影は福岡店長。  当店の「お客様蔵書放出コーナー」、1月出品のT氏からご寄贈いただく。いつ頃のものか、どんな本についていたのか、T氏も覚えておられぬ。当店の岡田重役も初めて見たという。

書皮2 書皮3
↑[写真2]書皮の拡大                ↑[写真3]書皮を手にする著者


  ほしをとって

  水につけてみたい

  れいぞうこにいれてみたい

  おほしさまの

  アイスクリームが

  できるかな

  (詩…大川みや子 曲…村岡知子)

発掘写真1

 詩は児童のよう。「れいぞうこ」「アイスクリーム」だから、そう古いモノではないだろう。まだ確かなことはわかぬが、ここらあたりから調べていきたいと考えている。

               →[写真4]発掘写真1

 続いて、年始に岡田重役が探し出した写真3葉。[写真4〜6]
 岡田一雄が撮影したものと思われる。裏に「S40.10.1」と鉛筆書き。
 開店間もない「コーべブックス」の最初の店舗。以前当稿でも紹介した店。[4]の右端の人物は明らかに「村田耕平」。左に見える書架の本はすべて函入りで重厚さが感じられる。[5]の右奥が国際会館。[6]の左、通路の左側はよその売場になる。

発掘写真2 発掘写真3
↑[写真5]発掘写真2                 ↑[写真6]発掘写真3

海文堂書店のあゆみ 2009.7〜
2009.8月 『本の雑誌』9月号「満薗春菜仕入旅」(ジュンク堂新宿店勤務)で紹介される。
   10月 『ほんまに』第10号発売。本号より年2回(4・10月)刊行に変更。
   11月



お客様の蔵書販売(古書)開始。第1回は甲南大学中島俊郎教授。
7日 田郁トーク&サイン会『花散らしの雨』(角川春樹事務所・文庫)刊行記念。田さんは宝塚市在住、時代小説。今回が縁になり、その後も新刊刊行のたびにサインをくださるなど、ご協力いただく。
   12月






「WEB 本の雑誌」に、名古屋市正文館本店の清水和子さんが紹介してくださる。
後藤正治『奇蹟の画家』(講談社)発売。著者はノンフィクション作家で夙川学院大学教授。旧海文堂ギャラリーが発掘した画家・石井一男氏の評伝。
27日 南陀楼綾繁『一箱古本市の歩きかた』(光文社新書)刊行記念トーク「ブックイベントのたのしみ」開催。ゲスト石川あき子(Calo book shop & cafe)、郷田貴子・真治彩・次田史季(貸本喫茶ちょうちょぼっこ)会費制。
2010.1月





16日〜18日 2階ギャラリースペースにて、「阪神・淡路大震災15年 メモリアル書・華展」きかんし協会主催、書・大村義典、華・神戸市立摩耶兵庫高校華道部。
17日 TBSTV系列「情熱大陸」にて「奇蹟の画家・石井一男」放映。
20日 出版社・書店員・神戸新聞社有志による会、第1回を開催。後のイベントにつながる。
    3月

神戸新聞「本屋さんの3冊+1」連載終了。
(有)シースペースの編集部門独立、(株)くとうてん(鈴田聡社長)設立。
    4月



神戸新聞夕刊「本屋の日記」新連載開始。北村知之が参加。
20日 『ほんまに』第11号発売。特集「若手書店員座談会 10年後も本屋でメシが食えるのか」(北村他、他書店の有志参加)が出版業界の話題になり、取り扱い書店増加。次号及びイベントにつながる。
    5月




福岡店長による「蔵書放出100円均一」開催。
15日 作家・碧野圭さん、ブログ「めざせ! 書店営業100店舗」取材のため訪問。
20日 神戸新聞夕刊連載「新 神戸の残り香 4 海文堂書店 頬打つ微かな潮風」掲載。
    6月 『神戸市今昔写真集』(樹林舎・9990円税込)発売。予約多数獲得。
    7月





18日 成田一徹『東京シルエット』(創森社・朝日新聞首都圏版連載)刊行記念サイン会。
中島らも七回忌記念「中島らもブックフェア」開催。
23〜25日 「中島らも七回忌回顧展 神戸らもてん」を神戸アートビレッジセンターにて開催。主催、神戸新聞社・神戸新聞ブッククラブ、中島らも事務所。23日のトークショーに読者招待。
    8月





1日 谷川俊太郎講演会。『ぼくはこうやって詩を書いてきた』(ナナロク社)刊行記念。風月堂ホール、有料、定員150名。担当・田中智美。
きかんし協会「一行詩」展示・投票に協力。店外にパネル設置。発表・表彰は21日、東亜ホールにて。
22日 中島さなえ『いちにち8ミリの。』(双葉社)刊行記念サイン会。らも氏の長女、「らもてん」のご縁。
   10月




15日 勁版会10月例会「10年後も本屋でメシが食えるのか」座談会。2階ギャラリースペースにて。この内容が業界新聞「新文化」10.28号に掲載される。文・川口正。
『ほんまに』座談会参加の書店員他9書店が新潮社と協力して、合同フェアを開催。「神戸書店×新潮文庫 合同フェア これYondou?」
   11月 6日 トーハン会青年部企画、「田郁トークショー」読者招待。兵庫県民会館。
   12月





1日 「元町・古書波止場」開業。やまだ書店、一栄堂書店、イマヨシ書店、あさかぜ書店。2階学参売場縮小。
蔵書コーナー出品の千葉氏より、古い書皮ご寄贈。紺地に白字で詩と楽譜。
神戸新聞 日曜企画「新・兵庫人――輝く 第21部 本の森から」連載で、出版関係者登場。その「(3)書店の根幹」に福岡宏泰。「(4)古書の狩人」に林哲夫、野村恒彦ら。
2011.1月 代表取締役・岡田吉弘が退任し、岡田節夫が就任。



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【第31回】ずっと本と過ごしてきた――元正章さんに聞く
   平野義昌(海文堂書店)


 久々で緊張気味。連載再開は、業界の先輩である元正章さん(以下、敬称略)にインタビュー。本稿第1回「南天荘書店のこと(1)」で、ご本人に断わりもなく、また、了解もなしに取り上げた人。
 略歴。「はじめ まさあき」。1947年(昭和22)3月神戸市生まれ。早稲田大学(政経やで)卒業後、ヨーロッパを2年半遊学(?)、73年「南天荘書店」入社。2000年(平成12)関西学院大学神学部大学院入学。03年日本基督教団曽根教会(高砂市)に牧師として赴任。現在甲子園二葉教会。
 この数行でこの人の半生をまとめるわけにはいかない。お忙しい中、時間をいただいた。
 牧師室には、奄美出身の「元ちとせ」の曲が流れ、教会=讃美歌もしくは荘厳な音楽という想像力しかない私は、「さすがヘンテコ牧師」と思った。だが、「あ、彼のルーツも南の島?」と、ここでようやく思い至った次第。
 初めて彼に会ったのは80年(昭和55)。地方・小出版流通センターの川上さんを中心にした「棚の会」の皆さんが大阪に来られた時。梅田の小さな呑み屋の2階、暗い座敷だった。紀伊國屋はじめ大阪の有力書店の方たち(名前と顔を覚えているのは、旭屋の海地さんとユーゴーの梅原さん)、在阪の出版社営業マンや新聞記者もおられた。神戸からは、元、海文堂・小林、コ−べブックス・秋山、松本。私は当時高槻店で、上司の白石が急用で代理出席。他店の人たちと話をするのは初めてのことで、親しくなって交際を深めるという社交性は当時なかった。いちばんの新米でアホ書店員で、小さくなっていたのが本当のところ。
 第1回で書いたように、元・小林・松本3氏は本屋の垣根を越えて、『神戸図書ガイド』を作成し、共同ブックフェアを開催していた。松本は同じ会社の先輩だから接する(呑む)機会も多かったが、元・小林両氏とお付き合いするのは、三宮ブックスに移ってからのこと。
 当時コーべブックスには「うるさ型」の先輩がうじゃうじゃといて、個性派の巣窟と言えた(これについてはまたの機会に)。気の小さい私は、外に刺激を求めるまでもなく、十分刺激的且つ強迫的環境で生活していた。
 前置きが長くなった。元に話を訊く。私の興味は、彼の「入社」の経緯と、「北風一雄」のことだった。しかし、入社時「一雄」はコーべブックスに専従していて、「南天荘」の経営は長男。元にとっての「南天荘書店」は、私の考えていた「一雄」の店ではなかった。

 [入社前、のヨーロッパ放浪について](以下[ ]は私の質問)
 「放浪」だから、目的はない。「日本脱出」だ。大学で闘争に参加したわけではない(デモにはついて行った)。文学と映画に浸る日々。就職する気もない。アルバイトで得た50万円を手にパリに旅立つ。片道切符だ。「青年は荒野をめざす」気概。皿洗いなどの仕事をしながらアパートを借り、フランスを巡った。
 [日常会話は大丈夫だったのか?]
 語学の勉強はしていたので支障はなかった。観光パスポートでも、期限切れの「アテネフランセ学生証」でも、長期滞在・就労、各種学割など大目に見てくれた。鷹揚というか、それに日本人は優遇されていると思った。最後の半年はロンドンを拠点にしていた。イタリアにも行ったし、スペインにも行きたかった。ある時、スコットランドの広い丘で、誰もいないひとりぼっちで、放牧の羊たちに恐怖を感じた。そして「そろそろ引け時かな」と。

 羽田に着いた時、所持金は1000円。友人を訪ねるが冷たく追い返された。新宿の深夜喫茶で夜を明かし、三鷹の友人の下宿に。
 「ここで、浅川マキに会った」
 10日後神戸に戻る。最初にしたことは、小説の翻訳。ドストエフスキーのフランス語版『地下生活者』を日本語訳して自費出版した。ドストエフスキーは学生時代に読んでいたが、この本だけフランスで、フランス語で読んだのだった。この翻訳を完成することで、「青春にエンドマークをつけた」

 ここまでの話を聴いていて、私はヨーロッパ貴族子弟のグランド・ツアーを思い浮かべた。貧しくても精神は「高貴」だ。

 春になって、新聞に「南天荘」の募集広告が目に入った。73年5月入社。
 [なぜ、本屋だった?]
 「古本屋志望やった」
 けれども、海外であちこち本屋に行っていて、
 「書店員が椅子に座って、ずっと本読んでる。客がいても。これもええな、と」

 本屋で働く人の動機なんて、こういうものである。「良書普及のため」とか、「日本文化向上の礎」とかで、本屋にいる訳ではない。私も先輩たちを見て、当初「こんなにすごい人たちがなぜ本屋に集まるのか?」と思っていた。やがてわかった。「この人たちは一般企業では勤まらん」(無論、尊敬を込めている)と。賢明(?)な人が本屋を選ぶはずがない。だから、私は、「アホ」な彼らが大好きだ。

 脱線を戻す。元の勤務は「阪急六甲店」。阪急六甲駅ビル内にあり、改札の真ん前だった。神戸大学はじめ神戸外大、おしゃれな女子大、私立中・高が集まる文教地区で住宅街。市バスのターミナルにもなっている。特急電車は停車しないが、賑やかな駅。

 [ここで、PR誌『野のしおり』登場?]
 その前がある。組合作って、その機関誌を4号まで出した。
 [南天荘で組合?]
 コーべブックスよりずっと前やで。

 従業員10名で結成し、交渉で給料がだいぶ上がった。経営者も時代の流れと感じたよう。“親睦会”の感覚で旅行もしたが、自然消滅していく。
 それから『野のしおり』になる。
 創刊号は20頁、印刷所から風呂敷に包んで持ち帰る時の喜びを、今も覚えている。小部数でも10万円単位の金がかかる。これも経営者の理解あってのこと。
 地域の人、よその書店員にも誌面を提供している。書店のPR誌はまだ少ないものの、注目され始める頃だった。海文堂では小林がガリ版で作っていた。
 『野のしおり』は8年続いたが、やはり財政的問題で、85年12月第25号をもって終刊する。その号の特集は「われら出版営業 自らを語る」。22名の営業マンが寄稿している。大手から中堅・弱小と、元の人間関係の一端が窺える。

 彼らとの交際は、先の「棚の会」の集まりから広がった。また、在阪の営業マン・川口正(当時朱鷺書房、現在も営業代行のかたわら「勁版会事務局長」として業界の世話役を務める)の存在が大きい。
 彼らが「南天荘の元」に会うために六甲に来る。営業活動なら、ジュンク堂やコーべブックス、海文堂だろう。交通の便とか時間の効率とかを考えても、六甲を訪問するのは、元に魅かれてのことだ。
『野のしおり』後である。元がじっと本を並べているはずがない。

 地域活動「六甲を考える会」に参加する。地域や大学関係者との交流を深め、イベントを展開する。「鉄道フェア」では、地元カメラマンの写真集を制作・出版して、あちこちの書店にも置いてもらった。「心理学フェア」では、大手新聞社が取材してくれた。
 書店が考え、地域の人とイベントをし、マスコミが取り上げ……、それぞれの目が混ざり合って、「本屋の佳き時代だった」。
 「六甲を考える会」での活動があまりに積極的だったため、メンバーからは経営者の家族と思われていたくらい。これも経営者の度量の大きさだが、元自身はサラリーマンの身分、いつまでも好きなことをしているわけにはいかない。地域活動は少しずつ政治活動に傾いていく。休職し、91年市議選に立候補することになる。

 「政治や行政に深くかかわって世の中を変えたいと、そのときは本気に思ったんです」
 だが、マイクを手に公約を語りながら、どこかでその言葉に疑いを感じている自分に気づいた。結果は落選。
 「推薦を受けた政党(社会党)の内部対立にうんざりした。選挙は政治プロが仕切り、市民はそっちのけでしたから。政治の世界に入ろうとしたことは、一生の汚点になりました」
        (池田知隆『団塊の〈青い鳥〉』所収「元正章 牧師になった書店員」現代書館)

 このとき支えてくれた人が近所の教会牧師さんだった。
 復職、南天荘とコーべブックスの合併、阪神・淡路大震災、恩師である牧師の急死……。子どもたちの大学卒業を機に退職、関学神学部大学院に入る。経営者は合格を喜んでくれた。03年から牧師として教会に赴任。
 本屋から離れて、はや10年だが、本の世界のことは今も気にかけてくださる。若手書店員の座談会「10年後も本屋でメシが食えるのか」(『ほんまに』11号、2010年4月所収)のこともご存知だった。

 [現在の自分と本について]
 読んだ本に対して責任がある。廃棄しなければならなくなっても新しい本を買ってしまう。ずっと本と過ごしてきた。本に対して責任がある。
 [責任を果たすとは?]
 自分がいなくなれば、本は散り散りになるが、これが自分の人生。これらの本を読んだとしか言いようがない。本を読んできたことで、牧師としての今の自分がある。28年の書店員生活があって今の自分がある。文学や美術や医学などさまざまな文化があって、宗教もある。自分は宗教者だが、宗教だけでは生きていけない。
 [若い書店員にアドバイスがあれば]
 ソコソコ食べられたら、エエ。並んでいる本を見ながら、「これが私の人生」「こういう生き方しかできない」と思えたらいい。将来を否定的に考えるのではなく、本とともにあることを“命の輝き”と思えればいい。
経済的なことは何とかなるもの。自分は何とかなってきたから。
 自分の時代は、売り上げでもお客さんの反応でも、働いていることが報われていた。将来のことはわからないが、本屋という業態は潰れはしない。
 本と出会うこと、本を読んで変わっていく自分を楽しめればいい。

 今、元の本棚はカウンセリングや「生と死」に関する本が大半を占めている。本の知識だけで人の生死について説ける訳ではないこと、それでも本と離れる訳にはいかないこと、私にも理解できる。今も尊敬する「アホ」な先輩書店員である。
 「いくら偉大な人とはいえ、みんな死んでいく。自殺者が多いいまの日本では、誰もが自己否定していくのではなく、人生を長い尺度で見つめるようになってほしい。牧師は、一人ひとりの思いを大事にして、こんなふうに生きた人がいる、と伝え、背中を押してあげればいいのではないか」(池田、前掲書)

 [そもそも、なぜフランスだった?]
 「ランボー、やな!」

*2010年11月11日、甲子園二葉教会にてインタビューした内容をまとめました。文責は平野にあります。



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平野義昌(ひらの・よしまさ)
1953年7月神戸生まれ、ずーっと神戸育ち。76年私立大学文系お手軽レジャーコースを、それはそれはリッパな成績で卒業。同年潟Rーベブックス入社。5年後、女性の色香に惑い化粧品販売業に転職。しかし、マチガイを起こしたのか悟ったのか、1年9ヵ月でまた転ぶ。書店業界重鎮・村田耕平氏の且O宮ブックスに押しかけ入社。以来21年、書店業の「エエ時代と悪い時代」を体験。2003年4月同社業務縮小のため滑C文堂書店に。家族は、一美人妻、一美貌娘、一イケメン男子。店舗から徒歩17分、自転車5分、ケンケンしたらいつ着くか不明の距離に在住。2006年12月、おちゃらけ、下ネタ、嫁の自慢がてんこ盛りの単行本『本屋の眼』を、みずのわ出版より刊行。

海文堂書店ウエッブサイト http://www.kaibundo.co.jp/





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