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本屋の眼番外 神戸・本屋漂流記


画=林哲夫「本屋の眼」より
将来の単行本化を前提とした月イチ更新のコーナー、です。
                          2013年10月21日更新

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(← 林哲夫・画/平野義昌「本屋の眼」より)



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第34回 第35回 第36回


【第36回】海文堂書店のあゆみ 2011年9月から閉店まで
   平野義昌(海文堂書店)


 海文堂書店のあゆみ

2011年
●9.10-11 成田建和写真展〜from Kobe みなとの写真館〜 2Fギャラリー
●9.28 決算棚卸 作家・田郁アルバイトで参加
●10.1-11.14 「福島・会津からの風 福島県出版社フェア」開催
●11.5 石井光太トーク&サイン会『遺体――震災、津波の果てに』(新潮社)刊行記念 2Fギャラリー 新潮社主催 140B協力
●1.14-16 「下町おかんアート展」下町レトロに首っ丈の会 2Fギャラリー
●11.22-23 「復興の狼煙」ポスター展 盛岡・東京のカメラマンによるメッセージポスター くとうてん主催 23日、ボランティア報告会
●11.23-27 成田一徹個展『カウンターの中から』(クリエテ関西)刊行記念 2Fギャラリー『あまから手帖』協力
●12.4 今福龍太トークイベント〈群島――世界の薄明へ〉『薄墨色の文法 物質言語の修辞学』(岩波書店)刊行記念 岩波書店、サウダージ・ブックス協力 2Fギャラリー 参加費500円
●12.23-2012.1.9 第12回 海文堂の古本市 2Fギャラリー

2012年
●1.14-16 阪神・淡路大震災17年メモリアル「一行詩」展と「絵画・華道」展“希望”きかんし協会主催 2Fギャラリー
●1月22日 北沢夏音トーク C’Moi――『サブ』は、「私です」。〈サブ・カルチュア風雲録小島素治と草森紳一の神戸〉『Get back SUB! あるリトル・マガジンの魂』(本の雑誌社)出版記念
●2.5 太田治子サイン会『夢さめみれば――近代洋画の父・浅井忠』(朝日新聞出版)刊行記念  NPO法人リ・フォープ協力
●4.16-5.31 「全国新聞社ふるさとブックフェア」全国新聞社出版協議会主催 地方新聞社+共同通信社 計24社参加 1F人文新刊コーナー
●4.27-5.10 第13回海文堂の古本市 2Fギャラリー やまだ書店・一栄堂書店
●5.20 西岡研介・松本創トーク会〈阪神・淡路大震災と東日本大震災をつなぐもの〉ふたつの震災[1.17]の神戸から[3.11]の東北へ』(講談社)刊行記念 2Fギャラリー 講談社主催 著書お買い上げの方に整理券配布
●6.1 創業98年
●6.22-24 「ものつくりの輪」はじめての雑貨店 阪神間の障害者支援施設とフェアトレード団体による手づくり雑貨の展示と販売 ジョブステーション西宮協力 2Fギャラリー
● 7.8 中居真麻サイン会『私は古書店勤めの退屈な女』(宝島社)出版記念 2F 元町古書波止場
●7.20 赤坂憲雄講演会〜神戸からの発信「東北の復興、日本の明日」〜風[正しい漢字は几+百]月堂ホール 赤坂憲雄講演会実行委員会主催 チケット販売と当日会場で著書販売。
●8.1 PR紙「海会」、千鳥足純生「本の生一本」連載100回記念号。
●10.6-7 「神戸下町 おかんアート展 2012 おかんの愛で“まもる編”」神戸市・兵庫区役所・長田区役所・(株)くとうてん後援 2Fギャラリー 手づくり教室参加費要
●10.24 切り絵作家・成田一徹、出張先で倒れ、逝去 緊急ブックフェア開催
●10.20-21 海洋船舶画家・高橋健一 現代のクルーズ客船展 2Fギャラリー
●11.3-4 成田建和写真展〜from Kobe みなとの写真館U〜 2Fギャラリー
●11.9-11 もふもふ堂イラスト原画展――懐かしの昭和 KOBEの風景―― 2Fギャラリー
●11.23-25 Secondhand Book Fair on the Second Floor 海文堂書店2階の古本市 京阪神の若手古本屋5店舗参加 2Fギャラリー
● 12.1-9 第14回 海文堂の古本市 「元町古書波止場」開港2周年記念 2Fギャラリー やまだ書店 一栄堂書店 イマヨシ書店 あさかぜ書店 つのぶえ カラト書店 マルダイ書店 ブックス・ガルボ
● 12.22-24 高橋健一 色鉛筆で蘇る往年の客船展 2Fギャラリー
●12.28-2013.1.9 第15回 海文堂の古本市〜年越し古本即売会〜 2Fギャラリー やまだ書店 一栄堂書店 イマヨシ書店 図研 つのぶえ カラト書店 マルダイ書店 ブックス・ガルボ 音無書店

2013年
●1.3 「海会」、後藤担当「2F・海の本のコーナーより」連載100回。
●1.12-14 阪神・淡路大震災 東北大震災 メモリアル「一行詩」と「絵画」「書・華道」展“夢”きかんし協会主催 神戸市立摩耶兵庫高校華道部、書道部協力 朝日新聞神戸総局、神戸新聞社、サンテレビジョン、ラジオ関西後援
● 1.19-20 龍谷尚樹 悠次郎 Taka■[sの丸囲み]hiro 三人展〜3つの神話、3つの起源〜 2Fギャラリー
● 2.10 江弘毅トークイベント「とことん神戸の、甘く危険な話」『飲み食い世界一の大阪、そして神戸。なのにあなたは京都へゆくの』(ミシマ社)出版記念 ゲスト西岡研介 2Fギャラリー 参加費1000円
●3.1 「海会」、平野担当「本屋の眼」連載100回。
●3.1-4.20 ブックフェア「在仙台編集者+書店員による震災本 50冊+10冊」1F人文新刊コーナー
● 3.2-10 神戸明生園作品展「あ〜ら、どうも。」2Fギャラリー 神戸市北区の障害者支援施設「神戸明生園」の皆さんの作品展示・販売
●3.15-17 「made in 東北の現在進行形」東北の手仕事・ものづくりの現在を写真で展示。販売とおはなし会。協力 one village one earth 2Fギャラリー
●3.22-24 「なんたってエシカル!」環境や社会に配慮している手づくり製品展示・販売。 主催 one village one earth 2Fギャラリー
●4.12 夏葉社『本屋図鑑』(7月出版)取材
●4.12-21 土橋とし子展覧会「お茶、はいりました。」2Fギャラリー 絵本作家。新刊『おちゃのじかん』(佼成出版社)出版記念
●4.13 早朝、淡路島を震源とする地震。震度、淡路5、神戸3。交通機関遅れ。
●4.22-5.31 「全国新聞社 ふるさとブックフェア」全国新聞社出版協議会主催 22社参加 1F人文新刊コーナー
●4月末 白石一文の文芸作品『快挙』(新潮社)刊行。神戸も舞台のひとつで、主人公が海文堂書店に立ち寄る場面。
●5.3-5 高橋健一の色鉛筆混成画展〜瀬戸内の客船たち〜 2Fギャラリー
●5.18 青山大介『港町神戸鳥瞰図』(くとうてん)出版記念サイン会
●6.1 創業99年
    気仙沼「ほどーる」手づくりブックカバー販売開始。文庫サイズ1000円。津波の被害を免れた蔵にあった着物を使う。
●6.28 人文会(人文書版元の集まり)研修旅行、うち5名が神戸書店視察。
●7.15 夏葉社『本屋図鑑』見本到着
●8.5 朝礼時、社長から9月30日閉店までのスケジュール通知。神戸新聞夕刊一面トップで「閉店」報道。同新聞Web版でも掲載され、ツイッターで広がる。出版社・顧客から電話殺到。夏葉社社主より棚の記録を残したい旨の連絡。
●8.7 夏葉社・島田社主とカメラマン・キッチンミノル 全棚を撮影。
●8.11 青山大介、「海文堂絵図」のため測量開始。
●8.17 キッチンミノル、追加撮影のため再度来店。
●8.26 「朝日歌壇」入選歌、永田和宏選。神戸市山尾すみれ作。「四年間暮らした街のまんなかに海と名の付く本屋があった」
●9.1 「海会」最終号、野村恒彦編集。
    熊木提案ブックフェア「いっそこの際好きな本ばっかり!」スタッフ11名参加。推薦本に自作POP。
●9.20 夏葉社『海文堂書店の8月7日と8月17日』入荷。
    青山大介『海文堂絵図』完成、販売開始。
●9.21-27 成田一徹切り絵個展『新・神戸の残り香』(神戸新聞総合出版センター)出版記念 2Fギャラリー 複製画・絵はがき販売
●9.30 営業最終日。140B青山ゆみこ密着取材、『本の雑誌』12月号掲載予定。
●10.1-10.4 在庫品返品作業
●10.5 顧客・関係者有志による「さよならパーティー」2Fギャラリー
●10.15 従業員全員退職
●10.16-11.15 後藤・平野残務処理


 海文堂書店は創業100年を来年に控えておりましたが、あえなく転んでしまいました。
 PR紙「海会」2013年3月号の「本屋の眼」で、岩波書店創業100年にちなんで次のように書いています。
「……さてさて、海文堂書店も来年創業百年を迎える予定です。あくまでも今のところの予定です。ひとえに皆様の御愛顧の賜物です。それでですね、私の命はそれまで持っているでしょうか? それよりもクビはつながっているでしょうか? 叶うものでありますれば、皆様とともに「百年」を祝いたいと、ささやかな希望を持つものであります。……」

 クビはつながりませんでした。
 私の周辺にある情報は微々たるものですが、まだ書けないことがあります。
 ひとつだけ。7月25日、「閉店の噂が流れている」と教えてくれた人がいます。
 私は信じませんでした。信じられませんでした。

 同月29日、ある出版社から、「トーハンが常備出荷ストップと言ってきているが、どうしようか?」と電話が入りました。私は、トーハンが回転率の問題で常備を出すなと言うのだろうと思い、1年長期委託で出荷してもらうよう頼みました。この時も「閉店」のことは頭に浮かびませんでした。
 8月5日の朝礼で、A4コピー3枚が皆に配られ、9月30日までのスケジュールが書かれていて、このように決まりました、と言っただけでした。そこには店舗をテナント貸しすることも書かれていました。社長の口から「残念ですが〜」とか、「9月30日をもって閉店〜」という言葉は出ませんでした。
 まるで全員が既に「発表」を聞いていたかのような態度でした。
 そうです。「閉店の発表」「閉店することについての社長の思い」「従業員の今後」など何一つ話はなかったのです。
「将」は「兵」に語りませんでした。  しかし、「兵」はそれぞれの立場で行動しました。誰かの指示でそうしたのではありません。さぼってよかったのです。「やーめた」で構わなかったのです。本の補充注文をせず、自分の担当分野の返品をさっさとして有給休暇を消化して何の問題もなかったのです。就職活動をするべきです。
「兵」は、「将」のことよりも自分のことよりもお客さんと本のことを考えました。ひとりひとりがそう考えて行動しました。
「エエカッコすんな!」
 そう思われても仕方ありません。でもね、先のことを考えている者はいませんでした。考えられません。働く場であり、大好きな場所がなくなるのですから。
 定期購読者・取引先へのお詫び、常備出荷停止・定期中止など出版社への連絡、返品交渉……、しなければならないことがあります。
 私たちにとって海文堂書店は「死に場所」です。自分たちで最期を飾らねばなりません。文芸書担当・熊木のフェアをはじめ、それぞれが「これを売って閉める」という気持ちでした。
 幸い(ではないのですが)お客さんはたくさん来てくれています。定番商品だけではなく、普段は売れない本でも売れていきます。店頭の賑わいは10年以上前の勢いに戻りました。お客さんが「お別れ」に来てくれたのです。特に週末は遠方からも来てくださっていました。出版社、書店員、著者、本好き・本屋好きのひとたち、昔のお客さん……。
「売りたい本を売る」ことができました。

 もっと早く世間に「危機」を訴えるべきでした。
 私なりには言っていましたよ。
「絶滅危惧種、いつつぶれるかわからん、今度来たらシャッター閉まってるかも云々」
 ギャグと思われていたのでしょう。

 最後の日、最後のお客さんが退店されてからも、店の前には多くの方が残っていてくださいました。従業員全員が入口に並び、福岡店長が挨拶をいたしました。
「本日をもちまして、99年4ヵ月皆さんにかわいがっていただきましたが幕を下ろさせていただきます。
 今日も普段通り静かに閉店しようと思っていたんですけれども、こんなにたくさん残っていただいてありがとうございます。
 いま町からどんどん本屋が全国的になくなってきております。皆さんに最後にお願いしたいのは、確かにネットは便利なんですけど、まだ町に残って頑張っているリアル書店を使ってあげてください。でないとこの国から本屋というものがなくなってしまいます。
 われわれ海文堂のスタッフもお客様とお話させていただきながら、それによって成長させていただいたと思っております。
 ほんとうに長い間ありがとうございました。」

 皆さんの拍手と「ありがとう」の声、銅鑼の音に送っていただきました。
 ありがとうございます。
 その場に、「将」は、いませんでした。
(2013年10月記)


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【第35回】画家・広瀬安美のこと
   平野義昌(海文堂書店)


 8月、海文堂の顧客であり、イベントでお世話になっていて、「呑み会」レギュラーメンバーでもある甲南大学中島俊郎教授から、ブックカバーを頂戴した【写真1】↓
書皮1
コーべブックスのもので、絵は画家・広瀬安美さん(以下敬称略)。彼がカラーブックスで『神戸異人館』(1977年)を出した後だったので、私の記憶では1978〜79年頃に期間限定で使ったと思う。大きさはA3判で、単行本用に使った。いただいたカバーは菊判に折られていて、つけられていた本は詩集ではないかと勝手に想像している。カタカナとアルファベットで店名が記載され、5店舗それぞれの電話番号が記されている。
 話をつなげたいが、私の構成力ではバラバラになりそうだ。
 まず、中島教授の著書から。昨年(2011年)9月に出版された『オックスフォード古書修行 書物が語るイギリス文化史』(NTT出版)【写真2】↓
オックスフォード
2008〜09年オックスフォードで研究のかたわら、古書探しの記録を綴った本。その第8章。同地の小さな古書店でのこと。家庭の本を処分したり、学生が参考書を持ち込んで、わずかな換金をするような店。教授も「何ら期待せずに新しく持ち込まれ床に雑然と積まれた本の山をくずしながら背文字を追っていた」。そして発見したのが『英国の日記文学 一五世紀から二〇世紀』(1923年、原題“ENGLISH DIARIES”METHUEN & CO.LTD. LONDON)。本も教授にとって興味深いものだが、驚いたことは本に貼ってあるラベル。少し長いが引用する。

 ……問題はそのラベルにあった。そこには「川瀬日進堂 元町通一丁目」と記されているではないか。この本は神戸をあとにして、ここオックスフォード界隈にたどりついたわけだが、もうそれだけで感慨が胸を占め何ともいえない愛着を感じてしまう。内容もろくに見ずにレジへ運んでいった。店番の老婆に、「はるばる故郷からこの本は私を追いかけてきた」と、やや興奮してせきこんで訴えると、「じゃあ、ふたりの出会いを祝して、一ポンドにしておきましょう」と、やさしく笑って応じてくれた。
 川瀬日進堂は、和書、洋書の新刊を販売していただけでなく古書も扱っていた。その上、出版部門もそなえていて、イギリス文学関係だけでも竹友藻風(たけともそうふう)の『英文学史六七〇−一六六〇』(昭和一〇年)やウィリアム・モリス生誕百年を祝う、新村出(しんむらいずる)や壽岳文章(じゅがくぶんしょう)らが編纂した『モリス記念論集』(昭和九年)などの瀟洒な本を出していた。今や存在しない川瀬日進堂は、英文学徒たる私たちの精神風土をつちかってくれた、いわば今は亡き祖父のような書店である。後にしてきた故郷への思いを断ちきれぬままボドリアン・ライブラリーへ急いだ。……
 このすぐ後、別の古書店の均一台で「典雅で楚々とした」本を入手。……先ほどの『英国の日記文学』がとりもつ縁なのか、こうした僥倖は大切にしたいものだ。

 イギリス文化研究に欠かせない史料だった。
 私は遠い異国ではなく、ごくごく身辺の「トンカ書店」棚で、さきの広瀬安美の本を見つけた。『えほん・コウベ』(のじぎく文庫、昭和47年)【写真3】↓
えほん。「のじぎく文庫」は会員制で、年会費2000円、本書は880円、送料が140円という記載がある。B5判変型。ブックカバーの絵のような女の子が、神戸の文化財・名所を案内する。昭和46年6月から1年間「神戸新聞」で連載。取材した場所・物よりも「女の子」に人気が集まったそうで、
「モデルがいるのか、名前はなんというのか、トシはいくつか、などという問いには、いささか閉口した」
 女の子は主題の絵とは別に、各ページに季節の風物詩とともに登場する。
 広瀬の本には必ず女の子が案内役で出てくる。
 カバーついでに、海文堂の文庫・新書用カバーの色調が少し変わったので報告する【写真4・5】↓。紺地が濃くなり、白もはっきりと出ている。昔のA5判雑誌用のカバー(巻くだけのタイプ)が残っている【写真6】↓。船の形は同じだが、向きが逆だった。字体も違う。
(2012年12月記)


書皮1

書皮2

書皮3

写真4














写真5













写真6





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【第34回】海文堂書店『海事大辞書』について
   平野義昌(海文堂書店)


 海文堂に残っている最古の出版物は『海事大辞書』全3巻。
 これまでの調べでは「海文堂」に改称したのは大正15年(1926)だが、本書では既に「海文堂書店」となっている。以前にも書いたが、神戸市立中央図書館所蔵の本では、1922年出版で「賀集海文堂」と名乗っている。
 セット定価25円という値段、当時「週刊朝日」が12銭だった。単純比較だが現在なら、週刊誌が400円として、8〜9万円くらいの見当だろうか。
 大正14年(1925)10月「上巻」、12月に「中巻」、翌3月「下巻」を刊行。全2956ページに及ぶ。
「上巻」の「序」で、我が国では学問理論と現場での作業が一致しないことがあると指摘する。学問を主として実地を従とした結果、実地に応用する場合に学問が必ずしもすぐに効果を示さないこと、また、学校の学問と世間の学問の2種類が生じていることなどによる。英独など先進国の学問は長年にわたる経験の基礎の上に成り立っている。我が国の学問進歩の程度がまだ低いため。しかし、我が国の海運に関する学問は他の学問とは異なる。
「即ち明治初年に於て海運の必要の主唱せらるるや、其先ず第一に輸入せるものは英独海運書籍に非ずして、船舶自体又は雇入外人船員なり。此輸入船舶及外人船員に依り其実際の運用を伝習し、経験と実地とを主として、海運の基礎を樹てるものなり。……」(原文は旧字旧仮名遣い、以下同じ)
 経験と実地によって得た知識を基本にして、航路の拡張、取引の拡大を図り、海運が発達した。日清・日露、第一次世界大戦が絶好の好機となったのは偶然の結果ではない……、当時の海運発展を自讃する。航路、船の総トン数はアメリカをしのぎ、イギリスに迫ろうとしていた。
「故に我国としても此著大なる過去の実験的発達の結果を総合し、茲に一つの系統的蒐集を試み、海運に関する真の学問即ち経験と学理との併進合一の実績を為さしむるの必要に遇せるものと謂うべし。……」
 意気軒昂、自信満々の出版のはずであった。が、売れ行きは不振。「中巻」出版に際して、早くも発言は弱々しくなっている。
「本来此事業は普通一般辞書類の刊行と其趣を異にし、其購読者の範囲も至って狭小にして、発行部数も少く、従って多大の経費を要し、出版上の困難甚だしきものあり。此事業の進捗と共に此点は当初より深く憂慮せし所なり。……」
 日本郵船経営者だった近藤康平の事業を記念する「近藤記念海事財団」(現在も活動)から出版補助費が出されたことが記されている。
「下巻」の「序」では反省点をあげ、関係者に感謝の言葉が献じられている。

1 神戸で初めて印刷した関係で、不十分な点が多い。誤植。「上巻」が特に多い。編者の不行き届きによるもので、早い機会に直す。
2 発行後海運界の事情に変化が大きい。また足らない事項や補充すべき事項も出てきた。不備・不満足の点は将来訂正増補する。
3 本書は、まったく個人事業であるため、多くの困難があった。不十分ながらも完成できたのは、先輩友人諸氏の後援と指導によるもの。近藤記念財団が最後まで完成に必要な補助金を給付してくれ、金子直吉(鈴木商店)、松波仁一郎先生(商法・海商法)の直接間接の援助をいただき深く感謝する次第……。

 結果、本書の不振で倒産の危機に陥る。投入した資金は10万円。この時、岡田一雄が経営に参加することになる。
 本書は現在東京海文堂出版の金庫にナフタリン漬けで保存されている。封印と言ってもいいかもしれない。このたび、私が手に取ることができたのは、ある海洋団体から寄贈(逆寄贈)されたことによる。何種類もの印が押されていることから、この本も各所を漂流してきたのだろう。大正から昭和、平成と時代を生き延びてきた。海文堂先輩たちの苦労が詰まった本でもある。
 さて、「逆寄贈本」、今や貴重本ゆえ、新たに某所へ寄贈されて行ったことを報告しておく。
 著者、住田正一については、以下が詳しい。
 http://www.lib.kobe-u.ac.jp/sumida/about-sumida.html
 また、創業者「賀集喜一郎」について新資料があった。
 鈴木徹造『出版人物事典 明治−平成物故出版人』(出版ニュース社、1996年)。
「賀集喜一郎 1875〜1940 朝鮮に渡り、約5年間海運業に従事。」
(2012年4月記)


背文字 扉 奥付




















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【第33回】海文堂書店のあゆみ、など
   平野義昌(海文堂書店)


 海文堂書店のあゆみ

 2011年

1月 代表取締役・岡田吉弘が退任し、岡田節夫が就任。
2月27日 吉弘逝去。節夫が「海文堂出版」代表兼任。
3月11日


東北東日本大地震、大津波、福島第一原子力発電所爆発。のち名称「東日本大震災」に。青森県南部から関東にかけての広い範囲が被災する。
3月11〜21日

「第9回 海文堂の古本市」に「つのぶえ」初参加(元・元町に店舗、現在は長田)
3月15日

大震災の影響により自動車燃料不足、トーハン・日販は隔日配送。22日より従来どおりに。
3月28日

仙台の出版社「荒蝦夷」全点フェア開催、「激励の言葉より本を売る!」をキャッチフレーズにする。多くのメディアに紹介していただく。
4月19日 「岡田吉弘お別れの会」東京・日本出版クラブ会館。
4月20日

『ほんまに』第13号発売。特集「中島らもの書棚」、中島家の全面協力をいただく。
4月23日

「森達也トーク&サイン会」新刊『A3』と大震災取材。兵庫県映画センター内海さんの尽力。
4月30日・5月1日

両日、中島さなえ脚色「桃天紅」(中島らも作)大阪公演(シアターBRAVA)で出張販売。福岡、くとうてん一同。
6月24〜26日



「女子の古本屋による女子の古本市」開催。岡崎武志『女子の古本屋』(ちくま文庫)刊行記念。北は仙台、南は沖縄、計50店舗参加。25日は、岡崎氏、山本善行氏、廣瀬由布さん(岐阜・徒然舎)によるトーク。担当、北村、トンカ書店、ハニカムブックス。
8月27日 元重役・清水晏禎(やすよし)氏逝去。
9月 島田誠、新刊『絵に生きる、絵を生きる』(風来舎)刊行。
9月17〜19日 姫路の版画家・岩田健三郎原画展。神戸新聞総合出版センター協力。
9月23日
  〜10月10日
「第11回 海文堂の古本市」四国から4店舗参加。

10月28日 棚卸し。作家・田郁さん参加。
11月14〜16日 「下町おかんアート展」(下町レトロに首っ丈の会)
11月22〜23日

「復興の狼煙」ポスター展 くとうてん主催。盛岡・東京のカメラマンによるメッセージポスター展。23日、ボランティア報告会。
11月28日

『ほんまに』第14号発売。特集「東日本大震災と本」。今号をもって、しばらく休刊することに決定。

 昨年発見された「ブックカバー」のその後

 しばらくぶりの登場で申し訳ない。この1年近くの間、上記のように海文堂では経営者の死去、それに伴い交代があり、元重役の死去もあった。現経営者は健康であるけれども、その後? となると、あの伝統家よりも深刻な問題である。
 連載を休んだのは、一にも二にも私の責任。前回の原稿前に取材相手の心中を不本意ながら傷つける結果となり、聞き書きすることに怖気づいている。今後も未定だが、受け入れてくれる人もいそうなので、気長に取り組みたい。
 忘れてはいけない。この間に「みずのわ一コ」は、本拠を故郷に移した。世帯を持ったと聞く。めでたいことであるが、神戸は寂しくなった。地元出版社が一つなくなった。
 昨年(2010年)暮れにお客さんから寄贈していただいたブックカバーについて、現在まで判明していることを書いておく。と言っても、「カバー」自体についてはまだわからない。カバーの図柄である、楽譜と詩について。【写真1】↓、【写真2】↓

書皮1 書皮2
 ブログ「海文堂書店日記」に載せたところ、読者から、「大月みや子さんは、1970年頃小学2年生ではないか?」とお知らせをいただいた。ネットで検索してくださっていた。神戸新聞のサイトで、2005年4月10日の記事。
 神戸大学名誉教授中村茂隆さんが、1972年に小学生9人の詩に曲をつけ合唱曲をつくった。この詩は神戸新聞阪神版に連載されたもの。作者の児童の小学校で合唱し、児童合唱団でも歌われた。歌集も出版した。2005年歌集を再出版することになり、当時の児童たちに会いたいという話。
 知り合いの記者に調査を依頼した。丸投げした。05年に中村先生にインタビューしたのもその記者だった。記者の本棚か押入れか、その歌集と合唱のテープが発掘され、私の手元に届いている。
『混声合唱のための 組曲 むしのたまご』(マザーアース株式会社、2005年1月1日初版発行)
 9人のなかに確かに「大川みや子(西宮・上ヶ原小2年)」の名がある。
 歌集の「作品解説」から。
表紙
「1970〜1年、神戸新聞阪神総局の提案で、同新聞に連載されている阪神間の小学生の詩の中から、共感した詩を選んで作曲するということで、学生、教師、主婦など、さまざまの立場の人が参加し、できた作品を、その詩をつくった子供のいる学校へ、神戸大学のフォークグループ“龍の目の泪”が出向いて歌うという運動がはじまった。
 その頃、関西学院大学グリークラブ、神戸女学院音楽学部の卒業生達で結成された合唱団“コーロ・ノーボ”の指揮者・洲脇光一さんから提案があり、その中から私の作曲した歌を中心に合唱組曲として構成した。
「あそぼう」「ともだち」「時間」「かみさま」「ねごと」「言葉」「ほし」「むしのたまご」「なみだの世界」(うち「かみさま」は種谷章子、「ほし」は村岡知子――いずれも神戸大学学生――がメロディを作曲した)9曲からなり、いずれも小学生の素直で斬新な発想が、言葉に輝きを与えていることに驚嘆と感動をもって作曲した。〈作曲者より〉」(太字は平野による)

 詩の出処は以上のとおり。調査続行する。【↑↓写真2点】

譜面





































(2011年12月記)



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【第32回】海文堂書店のあゆみ、など
   平野義昌(海文堂書店)


書皮1
 原稿遅延のお詫び、かつての同僚にインタビューをお願いしたものの、両者の意思疎通がうまくいかず文章化及び公表について、取材相手の同意を得られず。すべて私、平野の責任。よって、今回は写真でご勘弁を。
↑[写真1]海文堂の書皮

 まず、海文堂の書皮[写真1〜3]。私の顔と頭、無視お願い。撮影は福岡店長。  当店の「お客様蔵書放出コーナー」、1月出品のT氏からご寄贈いただく。いつ頃のものか、どんな本についていたのか、T氏も覚えておられぬ。当店の岡田重役も初めて見たという。

書皮2 書皮3
↑[写真2]書皮の拡大                ↑[写真3]書皮を手にする著者


  ほしをとって

  水につけてみたい

  れいぞうこにいれてみたい

  おほしさまの

  アイスクリームが

  できるかな

  (詩…大川みや子 曲…村岡知子)

発掘写真1

 詩は児童のよう。「れいぞうこ」「アイスクリーム」だから、そう古いモノではないだろう。まだ確かなことはわかぬが、ここらあたりから調べていきたいと考えている。

               →[写真4]発掘写真1

 続いて、年始に岡田重役が探し出した写真3葉。[写真4〜6]
 岡田一雄が撮影したものと思われる。裏に「S40.10.1」と鉛筆書き。
 開店間もない「コーべブックス」の最初の店舗。以前当稿でも紹介した店。[4]の右端の人物は明らかに「村田耕平」。左に見える書架の本はすべて函入りで重厚さが感じられる。[5]の右奥が国際会館。[6]の左、通路の左側はよその売場になる。

発掘写真2 発掘写真3
↑[写真5]発掘写真2                 ↑[写真6]発掘写真3

海文堂書店のあゆみ 2009.7〜
2009.8月 『本の雑誌』9月号「満薗春菜仕入旅」(ジュンク堂新宿店勤務)で紹介される。
   10月 『ほんまに』第10号発売。本号より年2回(4・10月)刊行に変更。
   11月



お客様の蔵書販売(古書)開始。第1回は甲南大学中島俊郎教授。
7日 田郁トーク&サイン会『花散らしの雨』(角川春樹事務所・文庫)刊行記念。田さんは宝塚市在住、時代小説。今回が縁になり、その後も新刊刊行のたびにサインをくださるなど、ご協力いただく。
   12月






「WEB 本の雑誌」に、名古屋市正文館本店の清水和子さんが紹介してくださる。
後藤正治『奇蹟の画家』(講談社)発売。著者はノンフィクション作家で夙川学院大学教授。旧海文堂ギャラリーが発掘した画家・石井一男氏の評伝。
27日 南陀楼綾繁『一箱古本市の歩きかた』(光文社新書)刊行記念トーク「ブックイベントのたのしみ」開催。ゲスト石川あき子(Calo book shop & cafe)、郷田貴子・真治彩・次田史季(貸本喫茶ちょうちょぼっこ)会費制。
2010.1月





16日〜18日 2階ギャラリースペースにて、「阪神・淡路大震災15年 メモリアル書・華展」きかんし協会主催、書・大村義典、華・神戸市立摩耶兵庫高校華道部。
17日 TBSTV系列「情熱大陸」にて「奇蹟の画家・石井一男」放映。
20日 出版社・書店員・神戸新聞社有志による会、第1回を開催。後のイベントにつながる。
    3月

神戸新聞「本屋さんの3冊+1」連載終了。
(有)シースペースの編集部門独立、(株)くとうてん(鈴田聡社長)設立。
    4月



神戸新聞夕刊「本屋の日記」新連載開始。北村知之が参加。
20日 『ほんまに』第11号発売。特集「若手書店員座談会 10年後も本屋でメシが食えるのか」(北村他、他書店の有志参加)が出版業界の話題になり、取り扱い書店増加。次号及びイベントにつながる。
    5月




福岡店長による「蔵書放出100円均一」開催。
15日 作家・碧野圭さん、ブログ「めざせ! 書店営業100店舗」取材のため訪問。
20日 神戸新聞夕刊連載「新 神戸の残り香 4 海文堂書店 頬打つ微かな潮風」掲載。
    6月 『神戸市今昔写真集』(樹林舎・9990円税込)発売。予約多数獲得。
    7月





18日 成田一徹『東京シルエット』(創森社・朝日新聞首都圏版連載)刊行記念サイン会。
中島らも七回忌記念「中島らもブックフェア」開催。
23〜25日 「中島らも七回忌回顧展 神戸らもてん」を神戸アートビレッジセンターにて開催。主催、神戸新聞社・神戸新聞ブッククラブ、中島らも事務所。23日のトークショーに読者招待。
    8月





1日 谷川俊太郎講演会。『ぼくはこうやって詩を書いてきた』(ナナロク社)刊行記念。風月堂ホール、有料、定員150名。担当・田中智美。
きかんし協会「一行詩」展示・投票に協力。店外にパネル設置。発表・表彰は21日、東亜ホールにて。
22日 中島さなえ『いちにち8ミリの。』(双葉社)刊行記念サイン会。らも氏の長女、「らもてん」のご縁。
   10月




15日 勁版会10月例会「10年後も本屋でメシが食えるのか」座談会。2階ギャラリースペースにて。この内容が業界新聞「新文化」10.28号に掲載される。文・川口正。
『ほんまに』座談会参加の書店員他9書店が新潮社と協力して、合同フェアを開催。「神戸書店×新潮文庫 合同フェア これYondou?」
   11月 6日 トーハン会青年部企画、「田郁トークショー」読者招待。兵庫県民会館。
   12月





1日 「元町・古書波止場」開業。やまだ書店、一栄堂書店、イマヨシ書店、あさかぜ書店。2階学参売場縮小。
蔵書コーナー出品の千葉氏より、古い書皮ご寄贈。紺地に白字で詩と楽譜。
神戸新聞 日曜企画「新・兵庫人――輝く 第21部 本の森から」連載で、出版関係者登場。その「(3)書店の根幹」に福岡宏泰。「(4)古書の狩人」に林哲夫、野村恒彦ら。
2011.1月 代表取締役・岡田吉弘が退任し、岡田節夫が就任。



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【第31回】ずっと本と過ごしてきた――元正章さんに聞く
   平野義昌(海文堂書店)


 久々で緊張気味。連載再開は、業界の先輩である元正章さん(以下、敬称略)にインタビュー。本稿第1回「南天荘書店のこと(1)」で、ご本人に断わりもなく、また、了解もなしに取り上げた人。
 略歴。「はじめ まさあき」。1947年(昭和22)3月神戸市生まれ。早稲田大学(政経やで)卒業後、ヨーロッパを2年半遊学(?)、73年「南天荘書店」入社。2000年(平成12)関西学院大学神学部大学院入学。03年日本基督教団曽根教会(高砂市)に牧師として赴任。現在甲子園二葉教会。
 この数行でこの人の半生をまとめるわけにはいかない。お忙しい中、時間をいただいた。
 牧師室には、奄美出身の「元ちとせ」の曲が流れ、教会=讃美歌もしくは荘厳な音楽という想像力しかない私は、「さすがヘンテコ牧師」と思った。だが、「あ、彼のルーツも南の島?」と、ここでようやく思い至った次第。
 初めて彼に会ったのは80年(昭和55)。地方・小出版流通センターの川上さんを中心にした「棚の会」の皆さんが大阪に来られた時。梅田の小さな呑み屋の2階、暗い座敷だった。紀伊國屋はじめ大阪の有力書店の方たち(名前と顔を覚えているのは、旭屋の海地さんとユーゴーの梅原さん)、在阪の出版社営業マンや新聞記者もおられた。神戸からは、元、海文堂・小林、コ−べブックス・秋山、松本。私は当時高槻店で、上司の白石が急用で代理出席。他店の人たちと話をするのは初めてのことで、親しくなって交際を深めるという社交性は当時なかった。いちばんの新米でアホ書店員で、小さくなっていたのが本当のところ。
 第1回で書いたように、元・小林・松本3氏は本屋の垣根を越えて、『神戸図書ガイド』を作成し、共同ブックフェアを開催していた。松本は同じ会社の先輩だから接する(呑む)機会も多かったが、元・小林両氏とお付き合いするのは、三宮ブックスに移ってからのこと。
 当時コーべブックスには「うるさ型」の先輩がうじゃうじゃといて、個性派の巣窟と言えた(これについてはまたの機会に)。気の小さい私は、外に刺激を求めるまでもなく、十分刺激的且つ強迫的環境で生活していた。
 前置きが長くなった。元に話を訊く。私の興味は、彼の「入社」の経緯と、「北風一雄」のことだった。しかし、入社時「一雄」はコーべブックスに専従していて、「南天荘」の経営は長男。元にとっての「南天荘書店」は、私の考えていた「一雄」の店ではなかった。

 [入社前、のヨーロッパ放浪について](以下[ ]は私の質問)
 「放浪」だから、目的はない。「日本脱出」だ。大学で闘争に参加したわけではない(デモにはついて行った)。文学と映画に浸る日々。就職する気もない。アルバイトで得た50万円を手にパリに旅立つ。片道切符だ。「青年は荒野をめざす」気概。皿洗いなどの仕事をしながらアパートを借り、フランスを巡った。
 [日常会話は大丈夫だったのか?]
 語学の勉強はしていたので支障はなかった。観光パスポートでも、期限切れの「アテネフランセ学生証」でも、長期滞在・就労、各種学割など大目に見てくれた。鷹揚というか、それに日本人は優遇されていると思った。最後の半年はロンドンを拠点にしていた。イタリアにも行ったし、スペインにも行きたかった。ある時、スコットランドの広い丘で、誰もいないひとりぼっちで、放牧の羊たちに恐怖を感じた。そして「そろそろ引け時かな」と。

 羽田に着いた時、所持金は1000円。友人を訪ねるが冷たく追い返された。新宿の深夜喫茶で夜を明かし、三鷹の友人の下宿に。
 「ここで、浅川マキに会った」
 10日後神戸に戻る。最初にしたことは、小説の翻訳。ドストエフスキーのフランス語版『地下生活者』を日本語訳して自費出版した。ドストエフスキーは学生時代に読んでいたが、この本だけフランスで、フランス語で読んだのだった。この翻訳を完成することで、「青春にエンドマークをつけた」

 ここまでの話を聴いていて、私はヨーロッパ貴族子弟のグランド・ツアーを思い浮かべた。貧しくても精神は「高貴」だ。

 春になって、新聞に「南天荘」の募集広告が目に入った。73年5月入社。
 [なぜ、本屋だった?]
 「古本屋志望やった」
 けれども、海外であちこち本屋に行っていて、
 「書店員が椅子に座って、ずっと本読んでる。客がいても。これもええな、と」

 本屋で働く人の動機なんて、こういうものである。「良書普及のため」とか、「日本文化向上の礎」とかで、本屋にいる訳ではない。私も先輩たちを見て、当初「こんなにすごい人たちがなぜ本屋に集まるのか?」と思っていた。やがてわかった。「この人たちは一般企業では勤まらん」(無論、尊敬を込めている)と。賢明(?)な人が本屋を選ぶはずがない。だから、私は、「アホ」な彼らが大好きだ。

 脱線を戻す。元の勤務は「阪急六甲店」。阪急六甲駅ビル内にあり、改札の真ん前だった。神戸大学はじめ神戸外大、おしゃれな女子大、私立中・高が集まる文教地区で住宅街。市バスのターミナルにもなっている。特急電車は停車しないが、賑やかな駅。

 [ここで、PR誌『野のしおり』登場?]
 その前がある。組合作って、その機関誌を4号まで出した。
 [南天荘で組合?]
 コーべブックスよりずっと前やで。

 従業員10名で結成し、交渉で給料がだいぶ上がった。経営者も時代の流れと感じたよう。“親睦会”の感覚で旅行もしたが、自然消滅していく。
 それから『野のしおり』になる。
 創刊号は20頁、印刷所から風呂敷に包んで持ち帰る時の喜びを、今も覚えている。小部数でも10万円単位の金がかかる。これも経営者の理解あってのこと。
 地域の人、よその書店員にも誌面を提供している。書店のPR誌はまだ少ないものの、注目され始める頃だった。海文堂では小林がガリ版で作っていた。
 『野のしおり』は8年続いたが、やはり財政的問題で、85年12月第25号をもって終刊する。その号の特集は「われら出版営業 自らを語る」。22名の営業マンが寄稿している。大手から中堅・弱小と、元の人間関係の一端が窺える。

 彼らとの交際は、先の「棚の会」の集まりから広がった。また、在阪の営業マン・川口正(当時朱鷺書房、現在も営業代行のかたわら「勁版会事務局長」として業界の世話役を務める)の存在が大きい。
 彼らが「南天荘の元」に会うために六甲に来る。営業活動なら、ジュンク堂やコーべブックス、海文堂だろう。交通の便とか時間の効率とかを考えても、六甲を訪問するのは、元に魅かれてのことだ。
『野のしおり』後である。元がじっと本を並べているはずがない。

 地域活動「六甲を考える会」に参加する。地域や大学関係者との交流を深め、イベントを展開する。「鉄道フェア」では、地元カメラマンの写真集を制作・出版して、あちこちの書店にも置いてもらった。「心理学フェア」では、大手新聞社が取材してくれた。
 書店が考え、地域の人とイベントをし、マスコミが取り上げ……、それぞれの目が混ざり合って、「本屋の佳き時代だった」。
 「六甲を考える会」での活動があまりに積極的だったため、メンバーからは経営者の家族と思われていたくらい。これも経営者の度量の大きさだが、元自身はサラリーマンの身分、いつまでも好きなことをしているわけにはいかない。地域活動は少しずつ政治活動に傾いていく。休職し、91年市議選に立候補することになる。

 「政治や行政に深くかかわって世の中を変えたいと、そのときは本気に思ったんです」
 だが、マイクを手に公約を語りながら、どこかでその言葉に疑いを感じている自分に気づいた。結果は落選。
 「推薦を受けた政党(社会党)の内部対立にうんざりした。選挙は政治プロが仕切り、市民はそっちのけでしたから。政治の世界に入ろうとしたことは、一生の汚点になりました」
        (池田知隆『団塊の〈青い鳥〉』所収「元正章 牧師になった書店員」現代書館)

 このとき支えてくれた人が近所の教会牧師さんだった。
 復職、南天荘とコーべブックスの合併、阪神・淡路大震災、恩師である牧師の急死……。子どもたちの大学卒業を機に退職、関学神学部大学院に入る。経営者は合格を喜んでくれた。03年から牧師として教会に赴任。
 本屋から離れて、はや10年だが、本の世界のことは今も気にかけてくださる。若手書店員の座談会「10年後も本屋でメシが食えるのか」(『ほんまに』11号、2010年4月所収)のこともご存知だった。

 [現在の自分と本について]
 読んだ本に対して責任がある。廃棄しなければならなくなっても新しい本を買ってしまう。ずっと本と過ごしてきた。本に対して責任がある。
 [責任を果たすとは?]
 自分がいなくなれば、本は散り散りになるが、これが自分の人生。これらの本を読んだとしか言いようがない。本を読んできたことで、牧師としての今の自分がある。28年の書店員生活があって今の自分がある。文学や美術や医学などさまざまな文化があって、宗教もある。自分は宗教者だが、宗教だけでは生きていけない。
 [若い書店員にアドバイスがあれば]
 ソコソコ食べられたら、エエ。並んでいる本を見ながら、「これが私の人生」「こういう生き方しかできない」と思えたらいい。将来を否定的に考えるのではなく、本とともにあることを“命の輝き”と思えればいい。
経済的なことは何とかなるもの。自分は何とかなってきたから。
 自分の時代は、売り上げでもお客さんの反応でも、働いていることが報われていた。将来のことはわからないが、本屋という業態は潰れはしない。
 本と出会うこと、本を読んで変わっていく自分を楽しめればいい。

 今、元の本棚はカウンセリングや「生と死」に関する本が大半を占めている。本の知識だけで人の生死について説ける訳ではないこと、それでも本と離れる訳にはいかないこと、私にも理解できる。今も尊敬する「アホ」な先輩書店員である。
 「いくら偉大な人とはいえ、みんな死んでいく。自殺者が多いいまの日本では、誰もが自己否定していくのではなく、人生を長い尺度で見つめるようになってほしい。牧師は、一人ひとりの思いを大事にして、こんなふうに生きた人がいる、と伝え、背中を押してあげればいいのではないか」(池田、前掲書)

 [そもそも、なぜフランスだった?]
 「ランボー、やな!」

*2010年11月11日、甲子園二葉教会にてインタビューした内容をまとめました。文責は平野にあります。



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平野義昌(ひらの・よしまさ)
1953年7月神戸生まれ、ずーっと神戸育ち。76年私立大学文系お手軽レジャーコースを、それはそれはリッパな成績で卒業。同年潟Rーベブックス入社。5年後、女性の色香に惑い化粧品販売業に転職。しかし、マチガイを起こしたのか悟ったのか、1年9ヵ月でまた転ぶ。書店業界重鎮・村田耕平氏の且O宮ブックスに押しかけ入社。以来21年、書店業の「エエ時代と悪い時代」を体験。2003年4月同社業務縮小のため滑C文堂書店に。家族は、一美人妻、一美貌娘、一イケメン男子。店舗から徒歩17分、自転車5分、ケンケンしたらいつ着くか不明の距離に在住。2006年12月、おちゃらけ、下ネタ、嫁の自慢がてんこ盛りの単行本『本屋の眼』を、みずのわ出版より刊行。

海文堂書店ウエッブサイト http://www.kaibundo.co.jp/





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