将来の単行本化を前提とした月イチ更新のコーナー、です。
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2012年1月20日更新
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これほど痛快で熱い中国映画を観たのは初めてだ。2011年のお正月映画『譲子弾飛』(『弾丸を飛ばせ』、監督・主演:姜文 チアン・ウェン、音楽:久石譲)だ。自宅で紹興酒をちびちびやりながらDVDを見始めると、冒頭からぐいぐい引き込まれ、観終わったときはそのパワーに圧倒されてしまった。翌日も興奮は冷めず、映画館へ足を運んでもう一度見直し、そしてあらためてすごい映画だと感じた。
何がどうすごいのか。監督の怒りや憤りがスクリーンからこれでもかこれでもかと伝わってくるのだ。言論や表現に制約が多い中国では、古来文学や芸術作品で故事を引用し現代を風刺、批判する手法がよく用いられる。この作品も決してその範疇を超えるものではない。しかし最近は、金儲けだけが目的だったり、莫大な予算を文化産業に投じる中国政府の政策に追随する作品ばかりで、監督の熱い思いを感じられる作品はなかった。政府に喧嘩を売る気概ある作品に出会えたことに何より興奮した。
ストーリーはいたって単純だ。時代は中華民国、辛亥革命がいったん成功するも軍閥が各地を割拠し国内は混乱していた。賄賂で官職を買収し赴任地へ向かう馬邦徳(葛優 コー・ヨウ)らを乗せた豪華列車を張麻子(姜文 チアン・ウェン)率いる馬賊が襲撃する。張たちは金品を略奪しようとするが、馬は官職買収のためすでに金を使い切ってしまっていた。そこで張は自分が地方役人に扮して赴任地の鵞城へ向かう。ところが、そこには人身売買とアヘンの密売で財を成した悪党・黄四郎(周潤發 チョウ・ユンファ)が人々を搾取し横暴の限りを尽くしていた。張たち7人の群盗たちは虐げられている民の味方となり、武力と知力を駆使して黄らと闘争を繰り広げ、最後には権力を恐れる民衆を奮い立たせ自由を勝ち取る。
ありがちな勧善懲悪劇で、ストーリーの展開も『七人の侍』とどことなく似ている。しかし、2010年12月に中国全土で公開されると大反響を呼び、公開第一週の興行収入は中国映画歴代最高の1.7億元を記録した。では、中国人はこの映画のどこにこれほどまでに熱狂したのか。いかに現代中国を風刺し、パロディーとして描かれているのかをストーリーを追って見ていきたい。
まず、冒頭の賄賂で官職を買収した馬邦徳が襲撃されるシーン。中国では賄賂による官職の売買が今も公然と行われている。今年は5年に1度の地方議会選挙が中国各地で実施されていて、中国政府は不正撲滅に躍起になっている。「票の買収、官職売買、賄賂など不正行為による官職買収、不正採用、選挙妨害などの問題を徹底的に取り締まり、鉄の規律で歪んだ邪気を排除しなければならない」。今年(2011年)11月に中国共産党中央規律委員会書記の賀国強(ホー・クオチアン)が視察先で行った演説を中央テレビは大きく報じ、テレビの画面には駐車禁止のマークの中に「賄賂厳禁!」の文字が映し出された。しかし国家指導者がいくら贈収賄を禁じても腐敗は一向に減らず、地方政府高官が連日のように汚職で摘発されているのが現状だ。そしてそれを国営メディアが大々的に報じ、高官にも厳罰を科していると国民にアピールする。そうしなければならないほど事態は深刻なのだ。映画の中で馬邦徳は20万元で官職を買ったと言っている。以下のセリフから、その何倍もの見返りが得られることがわかる。
張麻子:金は?
馬邦徳:官職を買った。
張麻子:買ってどうするんだ?
馬邦徳:金を儲ける。
張麻子:いくら儲かる?
馬邦徳:倍ぐらいは。
張麻子:どのくらいで?
馬邦徳:1年。
張麻子:俺を1年も待たせる気か?
馬邦徳:半年で大丈夫だ、いや上手くやったら1ヶ月で十分だ。
馬邦徳が乗っていたのは10頭の白馬が牽引する馬列車だ。馬列車の馬列(マー・リエ)とは中国語でマルクス=馬克思とレーニン=列寧を省略した言い方で、馬列主義でマルクス・レーニン主義を指す。かつて高らかに叫ばれたこの中国共産党の指導思想も、今では誰も口にしなくなった。この列車には元娼婦で馬の妻(劉嘉玲 カリーナ・ラウ)、役人の幕僚である湯師爺(馮小剛 フォン・シャオガン)らも同乗し、一緒に飲み食いして快楽にふけっていた。非近代的な馬が列車を牽引する、これはつまり生産性の低い社会主義体制が、西洋の近代文明を意味する資本主義へ邁進していることを表している。そしてそれに乗っているのが腐敗役人と娼婦たちというわけだ。張が放った銃弾は見事列車に命中し、馬はバラバラに解き放たれ、列車は脱線し360度空を舞って池に墜落する。何を言わんとしているかは明白だ。
その後、馬賊の張麻子は馬邦徳に、役人の職を奪われた馬邦徳は襲撃で死んだ湯師爺に扮し、そして馬の妻は依然として役人婦人のまま鵞城に到着する。そうした彼らを女たちが表情ひとつ変えず黙々と太鼓を打ち鳴らし出迎える。地域を牛耳る黄四郎に逆らえない鵞城の民は張麻子にも同じように叩頭するが、張は「皇帝はもういないんだ、頭を下げる必要なし」「俺がここですることは3つ、公平、公平、3つ目も公平だ!」と言って空に銃砲を放つ。
弱者を救うために鵞城へ来た、あまりに奇麗事のように聞こえるが、張はかつて辛亥革命に参加した革命家であった。しかしその後世の中が混乱し、生きていくために馬賊にならざるを得なかった。「貧乏人からは決して金を奪わない」「ぶんどった物は民に分け与える」などの張のセリフから、馬賊となり果てても決して理想を失っていない義侠心が伺える。
ここまで映画を観た観客は、張麻子がかつて中国革命を指導した毛沢東とそっくりであることに気付く。毛は官僚勢力や地主を打倒し、農民に土地を分け与えて人民中国を築いた。張の「弱者からは略奪せず大衆に分け与える」という考え方は、富裕階級から奪い無産階級に分け与えた中国の革命史と重なる。
実は黄四郎も張麻子と同様にかつて辛亥革命に身を投じていた。しかしその後権力を私物化し贅沢三昧の生活を送っていた。そうした生活を掻き乱す者が突然現れて黙っているはずもなく、張が主張する公平を逆手に取り張麻子を貶めようとする。
麺屋でのやり取りは映画の前半のハイライトだ。張の義理の息子小六は麺を一碗食べて代金を払おうとするが、黄四郎の手下・胡万(陳坤 チェン・クン)に脅された店主は二碗分の代金を請求する。「俺は一碗しか食べていない!」と小六がいくら叫んでも、胡万は「嘘をつくな! 不公平だぞ!」と威嚇し、店主は怖くて本当のことが言えない。小六は身の潔白を証明するため、なんと割腹して腸の中から血まみれになった一碗分の麺を取り出す。そしてあえなく息を引き取る。
中国人はこのシーンを冷静に見られなかったに違いない。今現在、権力に屈し不当な境遇にある中国人が一体どれくらいいることだろう。地方役人に濡れ衣を着せられ、それを晴らしにはるばる北京まで陳情に来る人、「冤」(冤罪)と書いた白い紙を両手に掲げて「温家宝さん、助けてください!」と叫ぶ人、共産党員でないため話語権(=ホワユイチェワン、 発言する権利)がない、実力があってもコネがなければ正当に評価してもらえないと嘆く人など、これまで出会った多くの人たちの悲痛な表情を思い出した。しかし、責められるべきは黄四郎と子分の胡万だけではない。麺屋の店主や周りの野次馬も同じだ。抵抗する勇気のない店主、権力におもねって両手を叩いて喜んで見ている大衆たち。小六は血まみれの麺を取り出して、「俺は1碗しか食べていなかっただろう!」と身体を震わし何度も叫んだが、店にいた客はみんなぞろぞろと帰ってしまった。自分が間違ったことをしていると知りながら、見てみぬ振りをして生きている人がどれだけいるだろうか。
今年(2011年)10月に中国の広東省で起きた幼児ひき逃げ事件は日本でも大きく報じられた。防犯カメラには18人の通行人が映っていたにも関わらず、誰ひとりとしてこの5歳の女の子を助けようとしなかった。これは中国では高額の治療を受ける際や入院時に多額のデポジットを要求されるため、まとまった現金がなければ人助けができず、さらに貧しい農民工や身元不明者を助けたりすると、立て替えたお金がもどってこないことがあるからだ。また、今年11月に中央テレビは、バスに乗っていた老婆が突然意識を失ったため、バスの運転手が自分の判断で近くの病院に直行し、老婆は一命を取り留めたことを大きく報じた。映像のなかで看護師が「お婆さんはあなたが運転するバスに引かれたのか」と問い詰め、乗客のひとりが「運転手は善意で病院まで運んだんだ」と、乗客十数人の署名を手にしてインタビューに答えていた。
人心の崩壊は道徳観の喪失となり中国社会の至る所に現れている。中国政府はいま社会主義道徳観というスローガンを提唱し、中央テレビは「最も美しい中国人」「道徳模範風采」などのコーナーを設けて、「××さんに学ぼう」「道徳模範の××さん」などと美談を連日紹介している。しかし、問題の根源を直視せず英雄として祭り上げる官営メディアの宣伝教育を、多くの庶民は冷めた目で見ている。腐敗撲滅を訴える当の役人が腐敗行為を繰り返しているのだから、誰が自分から率先して自己を犠牲にしようとするだろうか。不義を正すには正直者が馬鹿を見ない社会を築くしかない。
こうした庶民と権力との関係を映画では以下のように描いている。小六が役所の入り口に太鼓があるのを見つけ、その太鼓から生え出た藤の木を伐採していると、馬邦徳が止めに入る。
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馬邦徳:止めろ!これは冤太鼓だ、乾隆帝の時代からずっとここにあるんだぞ。 小六:冤太鼓があるのは濡れ衣を着せられた人がいるってことだから、しっかり取り調べるって親父が言ってたんだ。 馬邦徳:濡れ衣? 誰がそんなこと口にできると思う! 100年前からあるっていうのに枝を切って太鼓を取り出したら、それこそ大変な濡れ衣を着せられるぞ! |
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馬邦徳:あんたは立ったままでいたいのか、それとも儲けたいのか? 張麻子:俺は立ったまま儲ける。 馬邦徳:無理だ。 |
(2011年12月記)
震災から1ヶ月が過ぎた翌日の4月12日、日本政府は福島第一原発をレベル5から最悪のレベル7に引き上げた。前日、中央テレビが放送した震災1ヶ月の特集番組の中で、中国の原発専門家は「福島の事故で放出された放射能はチェルノブイリの10分の1にも満たない」「北京のほうれん草を2トン食べても、X線写真を一枚撮って浴びる放射線量に過ぎない」と安全性を強調した矢先の発表だったため、誰もが耳を疑ったであろう。最悪のタイミングでの発表だった。
低汚染水を海に排出したときのような日本非難がまた始まるかと思ったが、中国政府、メディアの反応は冷静だった。同日、温家宝(ウェンチアパオ)首相は菅直人首相と電話会談を行い、「震災の救援や復旧などにおいて、中国側は日本との協力を強化する用意がある」と前置きしたうえで、「周辺国への影響を十分重視し、国際法を遵守して中国側に正確な情報を提供」するよう求め、また中国外務省の報道官は「日本側は迅速、全面的かつ正確に世界各国に情報を提供することを希望する」と述べるにとどまった。中国メディアは『環球時報』が翌13日に「日本はどうやってレベル7を1ヶ月も隠し通すことができたのか」という見出しで、「菅政権はまず国民を危険に陥れ、次に近隣諸国を誤った方向に導こうと企んだ」「お詫びは表面的でしかない。より正式かつ厳粛に釈明すべきだ」などと論評を発表したが、その他各紙は「(中国への影響は)チェルノブイリには遠く及ばない」「日本政府と東電の事前の判断に問題があったわけで、状況が悪化したわけではない」などと淡々と報じた。北京でほうれん草の値崩れが始まり、よく行くレストランの店員が「ほうれん草炒めを注文する人が減った」と言っていたが、激しい感情を表す人はいなかった。なぜかというと、人々の関心はこのときすでに、放射能の恐怖から国内の食品安全問題へと移っていたからだった。
今年3月以降、中国各地で食品安全事故が相次いで発生した。痩肉精(ショウロウチン=赤身肉の割合を増やすことができる食品添加物)事件、河南省南陽(ナンヤン)市の毒ニラ事件、豚肉を牛肉に変える「偽牛肉」事件、染色饅頭(マントウ=蒸しパン)事件、毒もやし事件等々枚挙に暇がない。そのうち痩肉精が入った豚肉を中国の食肉最大手メーカーの子会社が製造し、上海や広東などで大勢の中毒者が確認され、また染色マントウは上海の大手スーパーで販売された。都会の市民は食品への安全意識が高いため関心が集中し、メディアは連日大々的に報じた。そんな最中、中国商務省の報道官が4月19日の記者会見で、日本食品の輸入制限を実施するのは「公共の衛生と安全を守るためだ」と、ばつが悪そうに発言していたことを思い出す。最近では、中国の牛乳の安全基準は世界で最も低い、という専門家の発言が話題になっている。
話は原発事故に戻る。レベル7の発表以上に中国人が敏感に反応を示したのは、4月19日に菅首相がアメリカの主要紙に感謝文を寄稿したときだった。「日本が米国だけに感謝した」と報じられると、「中国や韓国など近隣諸国に感謝するのが先だろ!」と批判が相次いだ。米軍が最大時で約2万人の人員を投入し実施したトモダチ作戦が、震災直後の救援活動や物資輸送に決定的な役割を果たしたことは日本人なら誰でも知っており、まず米国に謝意を示すのは当たり前だ。しかし、中国ではトモダチ作戦がほとんど報じられなかったため、「日本はいつも米国の機嫌ばかり伺っている」と多くの人が感じたに違いない。領海問題で日米が連携を強化していることは大々的に報じられるが、被災地支援で日米が実施した大規模な連携は知られていない。
こうした中国世論の批判に応えるかのように、菅首相の寄稿が4月21日、中国各紙に掲載された。同月11日には菅首相が世界各国に向けて書いた感謝文が人民日報に掲載されている。21日の寄稿は中国政府と国民に向けて書かれたもので、中国各紙に掲載された。まず救援隊派遣や支援物資の提供などに謝意を示し、原発事故収束へ向けての日本政府の決意を述べる内容だった。注目したいのは、3月18日に胡錦濤(フーチンタオ)国家主席が北京の日本大使館を訪れ、弔問記帳したことに対する謝意を述べたくだりだ。前日にオバマ米大統領がワシントンの日本大使館を訪問したことに促されたとも考えられるが、同盟国でない中国の国家元首が外相を伴い記帳所を訪れ、被災者に哀悼の意を表したたことは異例だった。当時は原発が相次いで爆発し、日本支援の声が非難へと変わりつつあった。そんなとき、胡主席は震災で日本人が受けた苦痛を「感同身受」(カントンシェンショウ=自分のことのように感じる。温首相もこの言葉を使っており、今回の震災に対する中国政府の基本的な立場を表すキーワードだといえよう)と述べ、引き続き必要な援助を行うと表明した。これは日本政府と国民へのメッセージであると同時に、政府が日本を支援する方針に変わりがないことを国内に伝える意味が込められていたと考えられる。また、胡主席が原発事故に言及しなかったことも留意しなければならない。日本支援を明言せず、事故への憂慮を表明していたならば、その後厳しい非難の声が中国世論から噴出していただろう。
日本政府の感謝の言葉は更に続いた。4月22日に新華社は「中国の対日地震救援が日中の国民感情を近づけた」と題する丹羽中国大使のインタビュー記事を配信し、中国側への謝意、震災が日中経済へ及ぼす影響、事故収束への決意などが綴られていた。在中国日本大使館のサイトでは4月11日に「中国の皆さん、東日本大震災へのご支援ありがとうございます」の感謝文を掲載していた。しかし、「中国政府と国民に感謝します」と何度も言ったところで、果たして謝意の気持ちがどれくらい中国側に伝わっているのだろうか。感謝の言葉も度々になると重みがなくなる。
その後、震災、原発関連のニュースは減り、5月3日からは原発事故発生以後、毎日公表していた中国各地の放射線量を発表しなくなった。そして、5月12日の四川大地震3周年の記念日が近づくと、テレビや新聞はこぞって復興の成果を宣伝した。「3年間で復興事業を完成させると掲げた政府の目標は95%が完成した」「これは共産党の指導の下で成し遂げた『中国の奇跡』だ」と絶賛した。アナウンサーが「奇跡」と高揚して読み上げるのを、一日に何回聞いただろうか。温首相は9日、四川省の被災地で行われた会議で「現地の発展と生活条件は震災前を上回った」「復興事業は決定的な勝利を収めた」、復興の大成功は「社会主義制度の優越性を十分に示している」と発言した。被災者はテレビのインタビューに口を揃えた。「立派な住宅を建てていただき、政府には感謝の気持ちでいっぱいです」
1週間ほど復興を賛美する報道が続き、その合間に時々報じられる日本の震災関連のニュースといえば、「日本人は政府や東電の隠蔽に怒り爆発」「菅政権支持率急低下」、5月11日には「菅首相は政府の対応の誤りを初めて認める」など日本人が政府の対応を厳しく非難する内容ばかりだった。中国政府がいかに素晴らしく、日本政府がいかに無能かを鮮明に対比させていた。
5月22日、第4回日中韓首脳会議が東京で開催された。前日に韓国の李明博大統領と温首相は専用機で仙台入りし、宮城や福島の避難所を訪問し被災者を見舞った。前日に福島で震度3の地震が起きるなかでの訪問だった。その後、三国首脳は福島県産の野菜や果物を試食し、日本の食品は安全だと世界に向けて強くアピールした。海外の風評被害に歯止めをかけたい日本政府の外交目的が見事果たされたわけだ。しかし、今回の首脳訪問を中国から観察していると、その印象は全く異なるものだった。
その日の夜、三国首脳が福島産のさくらんぼを笑顔を浮かべて試食するシーンが日本ではトップニュースだったが、中国中央テレビの夜7時のニュースと新華社は、食の安全宣言については一切報じなかった。ニュースは主に、温首相が廃墟に向かって献花し、宮城県と福島県の避難所を訪問し被災者を見舞う内容だった。翌日に中央テレビ国際チャンネルはさくらんぼを試食する映像を流し、一部メディアはその写真を配信したが、多くの国内メディアは取り上げなかった。逆にネットでは、「温首相が福島産の食品を無理やり食べさせられた」と話題になっていた。
中国側は当初、温首相が20人の中国人研習生の命を救って自らは犠牲になった故佐藤充さんの家族を宮城県の女川町に訪問することを希望していた。友好的な外国人を厚くもてなすことは、中国の民間外交の特徴だ。しかし、菅首相の強い希望で福島訪問に変更したといわれる。中国側にとっては原発事故の収束の目処が立たない福島を訪れ、福島産の安全をアピールすることは、何の外交的利益にもならない。福島産の食品を禁輸しておきながら、福島産のさくらんぼを温首相が美味しそうに試食する映像を中国の国民が見たら、日本に利用されているとしか思えないだろう。
では、中国側はなぜここまで譲歩を重ねたのだろうか。それは対日関係改善への強い意志の表れであろう。昨年9月の漁船事件以降、日中関係は緊張化し、日本の対中感情は急激に悪化した。その一方で日米両政府はますます連携を強化した。こうしたなか、来年は日中国交正常化40周年、中韓国交正常化20周年、また、新しい指導者を選出する第18回党大会が来秋に開催される。日本との関係改善は、国内の安定のためにも必要だ。日本人には親しみやすい人柄をアピールし、国内に対しては22日の日中首脳会談で菅首相から原発事故のお詫びの言葉を引き出した。更には、国民の求心力を失った菅政権を支えることで、外交的に日本に貸しを作る思惑があったとも十分に考えられる。しかしその一方で、北朝鮮の金正日総書記が同時期に訪中している。こうした中国外交のしたたかさを忘れてはならない。
首脳会談後、原子力の安全や防災等で合意文書や首脳宣言が発表され、食品輸入規制の緩和や訪日ツアー客の増加など日中間の交流は回復へ動き出した。6月18日には温首相が福島の小学生に返信したことが報道されるなど、友好的な対日政策が続いている。日本近海での中国海軍の活動が注目を集めているが、軍と政府の対日方針は決して一枚岩ではない。
震災から4ヶ月が過ぎた現在、震災後の復旧と復興への取り組みと、原発事故への対応について、中国から見て感じたことを振り返ってみたい。
まず、日本政府への信頼と信用が大きく失墜した。事故発生から2ヶ月経って初日からメルトダウンしていた事実を認め、安全宣言したばかりの福島産の牛肉から放射能が検出された。いかなる理由であろうと、海外から見れば、日本政府は情報を隠蔽し、真実を公表していないとしか思えない。日本は感情的に好きになれないが、組織だった社会を構築した日本政府に一目置く中国人は多い。しかし、今回の震災後の対応を見て、それが幻想だったと感じたに違いない。しかも政治は菅首相の不信任案決議の提出や与党内の対立などを繰り返し、被災者のことを考えているようにはとても見えない。
とりわけ今回、中国人が日本政府の対応に苛立ちを隠せなかったのは、原子炉の冷却作業を行うときだった。まず、自衛隊を出動させるまで時間がかかったことは、上意下達が絶対の中国では考えられないことだ。また、自衛隊機が上空から放水活動を行ったとき、「水が全く命中していないのではないか」「この作業に意味はあるのか」と何人もの中国人から問いかけられた。中国で同様の事故が起きたら、解放軍の兵士が至近距離まで接近し消火作業を行ったであろう。多くの中国人は、今回もし中国政府が陣頭指揮を取ったら、迅速に事故を収束できたと考えている。戦後、日本では一人の命は何よりも大切だと教育されてきたが、中国では全体の利益が全てに優先する。そのため個人や少数が犠牲になることは止むを得ないと考える。大災害が発生すると若い兵士が殉死し、革命烈士として表彰される。なかでも共産党員は先頭に立って模範的な行動を示さねばならない。一方、日本では何か問題が起きると、必ず責任問題が追及される。普段日本の組織性は際立っているが、今回のような非常事態が発生した際は指揮系統が混乱し対応が遅れ、組織が機能しなくなることを露呈した。
次に、今回の原発事故がもし中国で起きていたら、世界中から大ブーイングを浴びたであろうという欧米各国のダブルスタンダードへの不満である。日本政府と東電の情報開示の遅さと混乱する対応は、世界から強く非難されて当然だった。しかし、同盟国の米国が日本を擁護したことで日本は難を逃れた、それは台頭する中国を押さえ込むためだ、と多くの中国人が考えている。
そして、今回の原発事故を反面教師とする中国国内における安全意識の高まりだ。世界の流れは脱原発だが、中国政府は高い経済成長を持続するため、原発推進の立場に変わりない。今回の事故への対応が冷静だったことは、こうした国内事情が働いている。しかし、危機管理体制が整った日本で大事故が起きたことは、高層マンション火災、食品事故、炭鉱事故、橋梁の落下や道路の陥没など事故が絶えない中国のずさんな安全管理を見直すきっかけとなった。たとえば、最近北京と深■[土偏に川](シェンチェン)の地下鉄エレベータが急停止し多くの死傷者が出たことで、北京のあちこちのエレベータやエスカレーターが安全点検のため停止している。また7月23日の高速鉄道事故も人々の安全管理に対する関心をよりいっそう高めるだろう。
最後に、今回の震災において海外から見た日本について述べたい。日本政府と東電が非難されるのとは対照的に、日本人の礼儀正しさや忍耐強さは海外で高い評価を受けた。中国でも日本人を賞賛する声をあちこちで聞いた。しかし、前回のコラムでも少し書いたとおり、日本には世界から寄せられた支援や励ましの声が多く届いているが、世界中の人がどれほど原発に不安と恐怖を感じていたか、果たしてどれほど伝わっていたのだろうか。それゆえ、日本から「ありがとう」の言葉は聞こえてきても、世界に不安と恐怖をもたらしたことに対する「すみませんでした」というお詫びの気持ちが全く届いてこない。首相が首脳会談でお詫びの言葉を述べれば、それでいいのだろうか。
原発が危険だと知りながら、私たちは原発に依存する生活を享受し、そして大事故が起きた。まずこの時点で、日本は、原発を推進し事故を起こしたことを非難されて当然である。次に、事故発生当初は海外の報道が大げさだと騒ぎ、それが原因で風評被害が起きていると外国を非難した。そして大丈夫だといい続けていたにも関わらず、2ヶ月経ってようやく事故は最悪の事態だったと認めた。これは国民を欺いただけでなく、世界中の人々をも欺いたことになる。地震と津波と放射能の三重苦の被害を受けても、日本人は文句も言わずに、忍耐強く頑張っているのを見て、海外の多くの人が「がんばれ!」と日本人を励ました。それに対して日本人は「ありがとう」と応えた。東北の人たちの苦しみは想像を絶する。しかし海外からしてみれば、少なくとも韓国や中国などの近隣国からすれば、日本は間違いなく加害者なのだ。日本人は迷惑をかけているという認識が欠けている。この点は、戦争に対する日本人の加害者意識の低さにも繋がっている。毎年8月15日が近づくと、戦争の悲惨さを訴え不戦の誓いをあらたにするが、ほとんどが被害者の視点でしか語られない。自分たちが受けた苦しみを想うだけでなく、他の国々の人々が日本によって受けた苦しさを想像する必要がある、と私は思う。
(2011年8月記)
今回は東日本大震災が中国でどのように報じられ、またどのように受け止められたかを振り返ってみたい。
地震発生当日の3月11日、中国では日本の国会に相当する全国人民代表大会が開催中だったが、中央テレビ国際チャンネルは地震発生直後から被害状況を詳報し、翌日から新聞各紙は連日一面トップ、テレビは大津波で家屋が流される衝撃的な映像を繰り返し流した。アナウンサーは「今こそ隣人に手を差し伸べよう!」と呼び掛け、「日本は孤独ではない!」と何度も叫んだ。2008年5月に起きた四川大地震や去年4月の青海大地震が記憶に新しい中国人にとって、他人事とは思えなかったのだろう。「被災地では略奪は起きず、騒ぎ立てる人は誰もいない」「被災者は譲り合い、列に並んでいる」――中国メディアは日本人の秩序正しさと防災意識の高さを絶賛した。「中国で同規模の地震が起きたら、犠牲者は数十万人を超えるだろう」「我々は日本人のように冷静に行動はできない」「日本人から学ぶことは多い」――中国では表立って日本を賞賛するとバッシングに遭うが、今回ばかりはこうした日本賞賛の言葉で溢れかえった。中国の友人からは「家族を北京に呼び寄せたほうがいい、家は提供するぞ」「日本は必ず蘇る、頑張れ!」といったメールが次々と届いた。「困ったときは友達が一番、自分は二番」という中国人の友情を改めて思い出し、胸が熱くなった。かつて四川大地震で日本政府が派遣した救援隊が他国に先駆けて現地入りしたことや、発見した遺体に深々とお辞儀したことは中国で大きな反響を呼んだ。今度は私たちが恩返しする番だと多くの人が考えたに違いない。
しかし、3月15日を境に状況は一変する。福島第一原発で爆発が相次ぐと、テレビの震災特集は原発特集に切り替わり、爆発の瞬間や焼け焦げた原子炉建屋の映像が何度も流れた。中国の原発専門家は原子炉の稼動中に事故が起きたチェルノブイリとは全く異なると安全を強調したが、中央テレビのアナウンサーはすぐにも放射能が中国に飛来するかのような発言をヒステリックに繰り返した。岩手県で活動する中国救援隊を取材していた中国人リポーターは「私がいま着ているこの服に果たして放射能がどれくらい付着しているか、全く想像すらできません!」とコメントしていた。震災直後に多くの中国人記者が被災地に入り現地リポートを行ったが、原発事故が発生すると、余震が続いていたこともあり自分たちが感じる恐怖感ばかりが報道されるようになった。
こうした報道に人々は敏感に反応した。「放射能が中国まで飛んで来る」と携帯メールで噂が広まり、メディアが「ヨウ素を含んだ塩は被曝を予防する効果がある」と紹介したことも手伝って、翌3月16日、中国各地で塩の買占め騒動が起きた。翌17日に私が近所のスーパーへ行って見ると、調味料コーナーは年配者でごった返し、塩は売り切れて一袋もなく、醤油、酢、ワカメ、インスタントラーメン(粉末調味料に塩分が含まれているため)などもほとんど売り切れていた。政府はこのままでは社会が混乱すると危惧したのだろう、メディアは一転、「放射能は極めてわずかで人体に全く影響を及ぼさない」と安全をアピールし始めた。
この頃、日本では大勢の外国人が慌しく帰国を始めた。なかでも中国人が圧倒的に多かった。それは在日外国人のなかで中国人の人口が最も多いことももちろんだが、過熱する国内の原発報道を見て驚いた家族が執拗に帰国を促したことによるところが大きい。また、中国人が政府の公式発表やメディアの報道を信用しないことも関係している。塩の買占め騒動が起きた後、国際ニュースの多くはリビア情勢に変わり、原発事故の扱いは急に小さくなったのを見て、私は2004年に中国で大流行したSARSのことを思い出した。当時、北京の病院で感染者が確認されたとき、北京では全人代が開催中だったため、社会の混乱を恐れた政府が情報を隠蔽し、その結果大勢の犠牲者が出た。今回もまた情報を操作して事実を隠蔽しようとしているのではないか、と多くの人が感じたに違いない。また、中国でも官房長官と東京電力の記者会見が連日生中継されたが、彼らの曖昧な答弁は人々の不安を煽った。「日本政府は本当のことを言っていない」「自分の身は自分で守る」、中国人特有の考え方が日本脱出を加速させた。
一方、中国では「小泉純一郎が震災で死去した」「漫画家や女優の誰々が津波に流されて行方不明」などの偽ニュースがネット上で飛び交っていた。厳しい情報統制が敷かれている中国では、ネットや噂話のほうが公式報道より迅速かつ正確である場合が多々ある。しかし、その一方でデマやがせネタも後を絶たない。2004年のSARSのときも緑豆のお汁粉やお湯に溶かして飲む風邪薬が予防になるといったデマが絶えなかった。中国共産党は1950年代から迷信や因習などの撲滅を指導してきたが、今回の塩騒動では大勢の人が噂に踊らされ、いまだにデマが社会を脅かす存在であることが明らかになった。スーパーの空っぽになった商品棚をながめながら、中国の崩壊や転覆を望むのであれば、武力などの力は不要で、まことしやかにデマを流せば自滅していくのではないか――ふとそんな考えが頭をよぎった。いずれにせよ今回の塩騒動で中国社会の脆さが浮き彫りとなった。
また、多くの中国人が放射能に戦々恐々としていたが、東京では計画停電が実施されながらも、人々は普段どおり出勤していることを知ると、「日本人はなぜ逃げないのか?」「被曝するより仕事のほうが大切なのか?」と多くの中国人から問いかけられた。そんなとき私は、「日本人は政府に対して文句や不満は多いが、いざというときは助けてくれるという信頼感がある。だから、自分で判断して行動しようという発想がわかないんだと思う」などと答えていた。当時はまさかここまで事態が悪化するとは思ってもいなかった。しかし、日本政府へのこうした信頼感はその後あっけなく崩れ去った。今さら撤回することもできず、自分の発言を悔やんだ。
塩の買占め騒動以降、原発報道は目立たなくなったが、福島周辺で大気中や海水から高濃度の放射性物質の漏洩が相次いで確認され、農作物や食品などの被害状況が明らかになると、中国の国家品質監督検査検疫総局は3月25日、福島や茨城など5県で生産された食品等の輸入を禁止すると通達した。中国環境保護省は原発事故後から毎日、国内各地の放射線量の測定値を公表していたが、3月30日には全国18の省、自治区、直轄市で大気中から原発事故で放出された極めて微量の放射性ヨウ素131が検出されたと報じ、続いて4月2日には、全国各地の港湾や空港で3月16日から4月2日まで実施した放射能検査で、入国人員、航空機、船舶やコンテナから計10件の基準値を超える放射線量が検出されたと発表し、その全てが日本からの便だった。
放射能がすでに自分たちの生活を脅かしているとわかると、中国では日本を非難する声が増え始めた。「アメリカ政府と日本政府の退避地域が違うのは、日本政府が情報を隠蔽しているからだ」「東電と日本政府の初動ミスが大惨事を招いた、これは人災だ」、ヘリコプターによる原発への放水作業については「人民解放軍が出動したほうがずっと迅速で効率的だ」などと言う声が聞かれた。しかし、少なくとも3月下旬ごろまでは日本への応援と非難が半々だったように思う。とりわけ中国メディアは塩騒動以降は一貫して冷静な報道を続けており、3月27日から中央テレビは『日本災区行』(リーペンツァイチュイシン=日本被災地訪問)という特集番組を放送して、岩手や宮城の被災地の状況を現地リポートした。中国人研修生20人を救って自分は犠牲になった宮城県女川町の佐藤充さんのことが何度も紹介され、被災者の忍耐強さや日本人がいかに冷静かなど、好意的な内容が目立った。しかし、事態が日々深刻化しているにも関わらず、報道がますます冷静になるのを見て私は強い違和感を覚えた。
もう一つ気になったのは、中央テレビが毎晩7時のニュースで必ず放射性物質が検出された地域名を一つ一つ読み上げ、そのうえで「人体への影響はなく、いかなる防御措置も必要はない」と繰り返し強調していたことだった。環境や原発などの専門家がにっこりと笑顔を浮かべながら、「大丈夫ですから、全く心配ありませんよ」とインタビューに答えていた。政府の情報公開の姿勢を国民にアピールし不安を取り除くことが目的であろうが、絶対に安全だと断言しつつ地名を全て読み上げるほど詳細に被害状況を報道するのを見て、私は、これほど原発事故の被害を被っていると広く国民にアピールすると同時に、今後日中間で摩擦が生じた際に、中国政府は今回の原発事故を外交カードに利用するであろうと、戦略的な意図を強く感じた。
4月4日、東京電力が低濃度の汚染水を海に排出すると、世論の対日感情は決定的に悪化した。しかし、中国政府の対応はまたしても至って冷静で、国際法に違反する可能性があると直ちに抗議した韓国外務省や、事前に通告がなかったと懸念を表明したロシア政府とは大きく違っていた。6日に人民日報系の『環球時報』は社説で「日本は汚染水処理で周辺国の同意を得るべきだ」と報じ、8日に中国外務省の報道官は「日本側からは正式な通知があった。国際法に基づいて行動し、適切な措置で海洋環境を保護するように望む」と談話を発表したぐらいだった。
テレビでは東電幹部が記者会見で謝罪する映像が何度も流れた。「国民の皆様に心よりお詫び申し上げます」と深々と頭を下げる映像とその日本語字幕を見て、これは大変なことになると私は強い危機感を感じた。「どうして日本人だけに謝り、同様に被害を受けている外国に対して頭を下げないんだ」と世界の多くの人が思ったに違いない。2日後に枝野官房長官が国内外への連絡が不十分だったと不手際を認め、その数日後、中国メディアのインタビューでお詫びする映像が何度も報じられたが、あたかも国内問題を処理するかのような東電と日本政府の対応に私は唖然とした。もし同様の事態が逆に近隣諸国で起きたとすれば、日本中大騒ぎになったであろう。海外で過熱する原発事故の風評に対して、菅首相は4日、EUに対して食品の輸入規制緩和などを要請し、4月下旬から日本政府はヨーロッパ、中国、韓国などで食品の安全性や風評被害についての説明会を開催した。しかし、中国で暮らしながら強く感じるのは、海外で風評が蔓延したのは日本政府の情報発信力のなさと情報公開への不信感の裏返しに他ならないということだ。たとえ想定外の事故で汚水排出が苦渋の選択であったとしても、事態を見守る立場でしかない外国政府へ十分な説明を行うのは当たり前のことで、外交が全く機能していなかったことに私は強い危機感を感じた。
汚染水排出をめぐって中国政府はコメントを控え、中国の報道も日本政府を非難するというより東電の対応を責める内容が多かったが、9日の『人民日報』は「放射性廃液放出で独断専行するな」と題する論評を掲載し「他国に損害がもたらされるかどうかについては日本が一方的に判断することはできないし、この種の国境を越える原子力危機にも日本が単独で対処することはできない」と強調した。日本政府の対応に痺れを切らした中国政府の対応の変化が見て取れた。
その後、ついに農作物への放射能汚染が確認されるようになった。4月5日には北京、天津、河南などのほうれん草から国内の農作物から初めて微量の放射性ヨウ素131が検出され、7日には北京のほうれん草とレタス、浙江省の芥子菜、山東省と湖南省のほうれん草、広東省の油麦菜(ユーマイサイ)とレタス、海南省のレタスなどに被害が拡大した。環境保護省は8日、全国31の省、自治区、直轄市のうち雲南をのぞく全土でセシウム134とセシウム137を検出したと公表した。国家品質監督検査検疫総局は同日、日本の食品などの輸入禁止措置をこれまでの5県から12都県に拡大すると発表した。
土壌汚染や農作物の被害が中国全土に及ぶと、支援の声は全く聞かれなくなり、「初めから日本に支援などしなくてよかったんだ」「日本は世界に謝罪し、損害賠償を払うべきだ」「我々がかつて日本軍に虐殺されたことを忘れてはならない」「8万人以上が犠牲になった四川大地震に比べると犠牲者は少ない」などのコメントがネットに溢れた。香港で多くの日本料理屋が風評被害で倒産したことがニュースになったが、上海に住む友人の話によると近海で捕れた魚も誰も食べなくなり、漁業関係者は大打撃を受けているとのことだった。
この頃になると私の周りの中国人は震災や原発を話題にしなくなった。それが日本人への最大の配慮だと私は感じた。これまでに日本人として肩身の狭い思いをしたことは何度もあるが、今回ほど心理的にきついと感じたことはなかった。歴史認識や領土問題で反日世論が爆発しても、多くのホワイトカラーはそうした感情的な反日感情を醒めた目で見ていたし、日本の国内事情や多様な意見があることを説明すればある程度は納得してもらえた。しかし、今回の原発事件はほとんどの中国人が人災だと思っており、しかも海外に配慮しない日本政府の対応を目の当たりにして、私には弁明する余地がなかった。表立った抗議行動はなかったが、その分、無言のプレッシャーが辛かった。
おそらく私のこういう発言に反感を持つ日本人もいるだろう。外国でのんびり暮らしている日本人や外国人が偉そうなことを言うな、という声が聞こえてくるような気がする。被災者や原発作業員の人たちは想像を絶するような環境の中で生活を送っている。私も1995年の阪神淡路大震災で自宅が半壊したので、被災者の気持ちは少しはわかっているつもりだ。しかし、海外で暮らす日本人も身の置き所のない生活をしている。収束の見通しが全くつかないため不安に思う中国人から様々な質問を投げかけられ、それに懸命に答えるが、その後すぐに状況が変わって政府や東電の説明が二転三転するため、まるで自分が情報を隠蔽しているかのように思われることもあった。政府や東電の対応を非難されると何も言いようがなかった。「日本政府と東電は事態の収束に向けて懸命に作業を行っている」などと言えば、外国人には言い訳としか聞こえない。仮に中国で大事故が起きて、日本で暮らす中国人が「中国政府はいま懸命に復旧作業をしているんだ」などと言ったら、おそらく多くの日本人は理性的に受け入れられないだろう。
また、1997年1月にロシア船籍のタンカーが島根県沖で沈没し大量の重油が日本海沿岸に流出したことや、毎年春先になると大量の黄砂が中国から飛来すること、中国もロシアも冷戦下の1950年代から60年代にかけて何度も核実験を地上で行い放射能を撒き散らしていたくせに、自分の国のことは棚に上げて文句ばかり言うなと思っている人もいるだろう。しかし、生命への影響が計り知れない放射能漏洩は、重油や黄砂と同じレベルで議論はできまい。それに冷戦下の産物を今の価値観で判断するのもおかしいと思う。
こうした厳しい非難が噴出したのは、中国政府が震災発生後、次々と無償援助を提供したにも関わらず、日本側は受け入れに積極的ではなかったこと、また地震発生当初に「日本頑張れ!」と応援したにも関わらず、その後の日本側の対応に多くの中国人が裏切られたと感じたからではないかと思う。
中国政府は地震発生翌日の12日、3000万元(約3億7500万円)相当の援助を行うと発表し、13日にはレスキュー隊員15名を岩手県大船渡市に派遣、4月3日までにテント900張、毛布2000枚、応急灯200個、水6万本、仮設トイレ60個、ゴム手袋1万組、スニーカー25000足を提供し、追加支援としてガソリン、ディーゼル油を各1万トン無償で提供した。しかし、3月29日に程永華(チョン・ヨンホワ)中国大使は記者会見で、援助物資を自分たちで被災地まで輸送するよう日本側から求められたこと、ガソリンと軽油を積んだ中国のタンカーが愛媛県と広島で荷下ろしよう要求されたこと、北京空港には当初救助隊80人、救助犬12頭がスタンバイしていたが日本側は15人しか受け入れなかったことなど日本側の受け入れ体制に不満を表明した。私も中国の知人や友人から「人道援助に政治を持ち込むな」「四川大地震のとき日本から届いた救援物資は、中国政府が責任を持って被災地まで送り届けた」などと不満の声を聞いた。その他、中国の海軍病院船や防核ロボットの提供を日本政府が拒否したこと、四川大地震のとき日本政府の支援金は今回中国政府が提供した金額よりずっと少ないなど感情的な議論がネットで多く見られた。
今でも世界各国で日本を応援する声が広がっていると日本では報じられているようだが、少なくとも中国国内では原発事故発生以後、そのような雰囲気は感じられない。温家宝首相は来日前の5月13日に、「日本の苦難を中国人は自分のことのように感じている」と発言したが、実際は多くの中国人が冷めた目で見ている。もちろん、中国赤十字会や民間の企業や団体、日本語を学ぶ学生などから多くの支援や義援金が寄せられ、銃器メーカーの三一重工は東電に約100万ドル(約8000万円)の高圧ポンプ車を無償で提供した。北京の日本大使館のブログには3月24日までに5000件近い見舞いや義援金の申し出などの書き込みがあり、在上海日本領事館には3月29日までに約1063万元(約1億2756万円)の義援金が集まったという。
しかし、これらの支援の多くは震災直後に寄せられたもの、または企画されたもので、こうした心温まる支援を差し伸べてくれる中国人は、日本人と交流があり、日本人の優しさや思いやりの心を知っている人たちだ。つまり、今回多くの支援が集まったからといって、それが大部分の中国人の感情を代表しているとは到底いえない。
もちろん、日本語を学ぶ学生や日系企業の中国人従業員、四川大地震で被災した人たちの支援には心が熱くなる。しかし、本連載の第9回でも取り上げたように、中国で行われる寄付活動の多くは個人の意志と関係なく、組織が動員して行っており、我々が考える一人一人の善意の気持ちの集まりとはちょっと違う。3月下旬に日本で公開される予定だった映画『唐山大地震』の馮小剛監督が50万元(約620万円)を寄付したことが話題になったが、日本寄りだと非難されて以後、芸能人による寄付は一人当たり10万元(約120万円)にほぼ統一された。また、欧米各国、香港、台湾や韓国では多くの芸能人が先頭に立って震災チャリティーコンサートを開いて支援を呼び掛けていたが、中国大陸で同様の行動があったと私は聞いたことがない。一部ではそうした活動があったとも聞くが、少なくとも中国メディアで大きく宣伝はされていない。中国では日本と関係のある団体の中で日本支援を呼びかけることは平気だが、大衆が相手だと「戦争で中国人がどれほど日本人に殺されたのか」と感情的な議論が起きるため、まだまだ憚られている。多くの人が目立たないようひっそりと支援を届けてくれたに違いない。台湾では多くのスーパーや個人経営のお店に「日本がんばれ!」のチラシが貼ってあると聞いたが、中国では全く想像できない光景だ。逆に私は日本への寄付活動に参加していた中国人が、原発事故以後は肩身の狭い思いをしているのではないかと、今も非常に心苦しい。
震災から1ヶ月が過ぎた4月11日、中央テレビは震災1ヶ月の特集番組を放送した。地震、津波そして原発事故の三部から構成され、中国人リポーターはじっと被災者の声に耳を傾け、被災地のありのままを伝える非常に好感の持てる内容だった。スタジオのアナウンサーは今度は憤ることなく、「日本は実際どれくらい危険なのか?」「日本人はなぜ避難しないのか?」「中国への影響は本当にないのか?」と質問を投げかけていた。それは多くの中国人が抱える不安を代弁していた。中国人リポーターは、「原発周辺の一部の地域を除いて水も農作物も安全だ」「今日も強い余震があったが人々は至って冷静で、普段と変わりない生活をしている」「福島の人よりその周辺の人のほうが緊張している」などと伝えていた。中国の報道には常に誘導性が感じられるが、今回は悲惨な状況のなかで必死に生きている被災者の気持ちに寄り添い、ありのままを伝えようとする記者の気持ちがその表情から伝わってきた。いつもスタジオで原稿を読む表情とはまるで違っていた。また、日本在住の中国人が電話インタビューで、「日本人が冷静に行動できるのは政府への公信力(コンシンリー=大衆に信頼される力)の違いだ」とコメントしたのが非常に印象に残った。
この日、人民日報に菅直人首相の名義で感謝広告が掲載され、『環球時報』は1面トップに「日本の首相が感謝状を発表した」と見出しをつけて大きく報じた。これで急激に悪化した対日感情も少しは収まるかとほっとしたのも束の間、翌日12日、日本政府は福島第一原発が最も深刻なレベル7級に相当すると発表した。
(2011年5月記、この項続く)
昨年11月、胡錦濤国家主席がAPEC首脳会議に出席するため来日し、菅直人首相と首脳会談を行った。その晩7時の中国中央テレビのニュースは、無表情な胡主席と菅首相とが握手している映像しか流さず、詳細は報じなかった。翌日の主要紙は1面で、また中央テレビは正午のニュースで会談の模様を伝えたが、「日本側の求めに応じて」行われたことが強調され、「会談」よりワンランク低い「会晤(ホイウー)」という表現が使われた。それもそのはず、約1ヵ月前に中国各地で反日デモが起き、11月に入ってからもデモの予告が後を絶たず、もし日本で笑顔を振りまき関係改善を喜べば、国内の反日勢力から激しい批判を浴びかねない。首脳会談の開催の発表が直前のわずか10分前だったこと、会談が22分だけだったことも、中国の複雑な反日感情を意識したからだった。
翌日行われた記者会見で、菅首相は「戦略的互恵関係を改めて進めていくことを確認し、私が首相に就任した6月に(日中関係を)戻すことを実現することができた」と首脳会談の成果を述べ、世論から激しい批判を浴びた。尖閣問題で謝罪と賠償を要求されながら関係改善を喜ぶ姿を見て、多くの国民が民主党に外交は任せられないと感じたであろう。
中国側にとっては、何を話し合うかではなく、会談を行うことが目的だった。反日世論が高まる一方で、交流が中断して戸惑う中国人も多くいた。トップ会談の実現は中国政府が日本との関係改善に舵を切ったことを意味し、ビジネス、地方自治体、民間団体、個人レベルにおいても政治の風向きを気にせず日本との交流再開へと動き出した。
対日関係改善への動きは中国の報道にも表れていた。首脳会談の前日、中国人25名を乗せたパナマ船籍の貨物船が西表島沖で遭難した。中央テレビは日本の海上保安官が中国人乗組員3名を救助したことを繰り返し報じた。荒波に溺れる中国人を日本人が懸命に助けようとする生々しい映像が何度も流れ、「日本側は期間を延長して救助作業を行っている」と続報が数日間続いた。ネットでは「日本人が中国人の命を救った」「日本人に助けてもらったことをどう思うか」「どこの国にもいい人もいれば悪い人もいる」などの書き込みが多く見られた。このニュースを見ながら、四川大地震のとき日本の救援隊が遺体に深々とお辞儀する映像が報じられ、大きな共感と反響を呼んだことを思い出した。
この頃日本では、尖閣諸島沖漁船衝突事件の映像がネット上に流出して大問題となっていたが、一方の中国では、ロシアのメドベージェフ大統領が国後島を訪問したニュースに方向転換し、領土問題で近隣諸国に対し強硬な姿勢を貫く日本外交を非難した。日中、日ロ首脳会談が行われた2日後の11月15日、人民日報系の中国紙『環球時報』は一面トップで「領土問題が首脳会議を妨害」という記事を掲載した。その後、朝鮮半島で砲撃事件が勃発し、米空母が中国と目と鼻の先の黄海に派遣され合同軍事訓練が始まると、漁船事件は話題にも上らなくなった。続報が報じられなくなるのは、2008年の餃子事件を彷彿させる。
胡主席が訪日して日中関係が改善へと動き出す前、神戸市に拠点を構える劇団道化座が北京公演を行った。当時は交流事業の多くが中断されていたため、不測の事態が起きるかもしれないと一抹の不安があったが、11月3日と4日に行われた2回公演はともに満席で、大盛況のうちに幕を閉じた。
中国各地で起きた反日デモは学生が先導したため、その後北京の大学でも警備員を増員するなど警備が強化されていたが、今回の公演場所はよりによって北京師範大学の構内にある北国劇場だった。日本側関係者は公演の延期も打診したそうだが、中国側主催者の返事は「大丈夫です。公演は予定通り行います」だったという。
公演前日、リハーサルが終わり中国側プロデューサーT氏とタバコを吸いに劇場の外へ出た。T氏は今回の公演に至るまでの経緯を話してくれた。まず、劇場側から公演中止を要請されたこと。学生が暴れるなど万一の事態が起きれば責任を負いきれないことが理由だったらしい。大学近くのホテルからは日本人の宿泊を拒否された。20人以上もの日本人が宿泊すれば、学生が抗議に押し寄せるかもしれないからだ。その他各方面からも中止を打診されたそうだが、彼は諦めなかった。万一の事態が発生した場合は主催者が全責任を負う、チケットは販売せず内部公演とする、構内にポスターは貼らない等の条件を受け入れ、公演開催にこぎつけた。ネットでは10月中旬に前売り券発売のニュースが出ていたが、実際にはチケットは販売されていなかったし、ポスターは劇場入り口に一枚張ってあっただけで、街角ではもちろん、大学構内でも一枚も見かけなかった。
では、なぜ中国側主催者はここまでリスクを抱えながら公演を決行したのか。T氏曰く「90年代から私は劇団を引率して3回の日本公演を行いました。その何れも道化座さんによる招聘でした。民間の劇団で運営が決して楽ではないにもかかわらず、いつも私たちを温かく迎えてくれました。日本へ行った劇団員たちはみんな喜んでいます。私たちが困っていたとき助けてくれたのに、いま日中関係が敏感だからといって公演を中止することは私にはできません。そもそも政治と文化交流は何の関係もないでしょう」。そういいながら、「私は何も怖くない」と力を込めて話すのを聞くたびに、やっぱり心配してるんだなあと私は感じた。
11月3日午後7時半、開演ブザーが鳴り、まずT氏が挨拶を述べた。「いま日中関係は非常に敏感ですが、今日ご来場くださった皆さまは、日本のお芝居を冷静に観劇してくださると信じています」。そして幕が上がった。演目は「早安媽媽!(ザオアン・ママ=原題は「おはよう、母さん!」)」。ストーリーはある家庭の日常を淡々と描いたもので、エンターテインメントや外国の翻訳劇などが人気を集める今の中国の演劇界で、最も敬遠されそうな題材だった。芝居は淡々と進み、静かな歓声のなかで幕が下りた。終演後に交流会が行われた。「初めて日本の芝居を観たが、表現が繊細で素晴らしかった」「中国には日常を淡々と描いた作品が少ないがとても感動した」。演出家の査明哲[チャーミンチョー]氏やドラマ『大地の子』で養父役を演じた朱旭[チューシュイ]氏も大絶賛だった。
私は今回の公演を観て、日中関係の将来にまだかすかな望みがあると感じることができた。劇団道化座は1987年に初めて訪中公演を行い、今回で15回目だ。1993年から私は道化座の訪中公演に度々携わっているので、これまでの経緯についてある程度知っている。15年ほど前だったか、中央戯劇学院の院長の「道化座さんとは日本の劇団のなかで最も中身の濃い交流を行っています」という話を通訳したのをよく覚えている。
中国と継続して交流を行うことは、言うほど簡単ではない。文化交流といってもコンサートやイベントなど継続性のない1回だけの交流事業が多く、多額の助成金が支給されるそうした事業が果たしてどれほど相互理解に貢献しているかは疑わしい。その一方で、拝金主義が横行する今の中国では、儲からない文化交流は歓迎されない。道化座の立派なところは、中国側に利益を落とさないにも関わらず、何十年と交流を続けているところだ。
なぜそれができるのか。それは積み重ねてきた信頼関係に他ならないだろう。まだ中国が閉鎖的だった時代から、様々な困難を乗り越えて築き上げてきた友情の絆は深い。中国には「飲水不忘■[「てへん」に「穴」と「乙」]井人」(インショエプーワンワーチンレン=水を飲むときには井戸を掘った人を忘れない)という諺がある。中国人はこうした人たちを老朋友(ラオポンヨウ)と呼んで厚くもてなす(最近は世代交代が進み、こうした草の根交流を続ける日本人が歓迎されなくなったが、そのことについてはいずれまた別の機会に述べたい)。日本とは体制の異なる中国では、ビジネスや文化交流に関わらず、政府の支持を取り付けることが成功の鍵を握り、政府高官が来賓に招かれる場合が多い。しかし、道化座の訪中公演で私はこれまで一度も政府関係者の姿を見たことがない。この劇団は地道な演劇交流を細く長く続けている。公演当日は訪日公演に出演した人や年配の演劇関係者の姿を多く見かけた。みんなの再会を心から喜ぶ笑顔を見て、自分も初心に戻ったような気がした。
もちろん長く交流を続けていると、様々な問題が発生する。双方の意見が真っ向から対立したことも一度や二度ではなかった。しかし、相手に対する敬意と信頼関係があれば、関係が途絶えることはない。今回の公演は中国文化部(日本の文化庁にあたる)に所属する国家話劇院が主催する第4回国際戯劇祭の招待作品として上演され、韓国、ベトナム、香港などの劇団も参加したが、渡航費が支給されたのは道化座だけだった。
話は日中首脳会談に戻る。両首脳は戦略的互恵関係を発展させること、民間交流の促進などで合意した。このお題目にはもううんざりだ。12月に内閣府が発表した世論調査では、中国に親しみを感じない人が80%近くに達したが、日本人はますます中国への依存を深めている。中国は信用できなくて嫌いだが、生き残るために仕方なく中国と付き合っているのである。かつて反日デモが起きた時、日本が嫌いだと叫びながら日本の電化製品を使っている中国人を多くの日本人が蔑んでいたが、それとどう違うのだろうか。
善隣友好ではなく、中国とは儲けられるだけ儲けて、Win-Winの関係で付き合っていこうというのが戦略的互恵関係の発展だろうが、果たしてそれで上手くやっていけるのだろうか。外交もビジネスも草の根の交流も、お互いの人間関係で成り立っている。国益や利益だけが交流のものさしになったら、関係が行き詰ることは今回の漁船事件からも明らかだ。
中国で長く暮らしていると、日中関係が良好な時のほうが違和感を感じるのは私だけではないだろう。しかし、デモが起きて反日世論が加熱する一方で、書店には多くの日本人作家の翻訳本や日本の観光ガイドブックが平積みで並んでいる。日本と付き合いのある中国の人たちは、そうした過激な行動について「何もわかってない奴らがまた騒いでいる」と言っていた。しかし、13億人の圧倒的多数がそうした日本を知らない人たちだ。いずれまた大規模な反日デモが必ず起きるであろう。
では、どうすれば圧倒的多数の人たちの心をつかむことができるのだろうか。中国が近代化して豊かになるのを待つのか、仕方がないとあきらめておわるのか、はたまた民主化すればよくなるのか。今回のデモを見てもわかるように、過激な行動を起こす人たちは、日本に対する不満と同じくらいに今の中国社会に不満を抱いている。そして彼らに共通していることは、金や権力と無縁で、時代の流れに乗り遅れた社会的弱者だということだ。つまり、マイホームやマイカーを持つような富裕層を対象に日本を紹介するのではなく、日本人と接したことがなく、ステレオタイプでしかまだ日本を理解していない人たちと交流する機会を作ることのほうがずっと大切だ。権力や名誉や金儲けと関係なく、庶民の視線で地道な交流を続けている道化座のような日本人がいることを中国人に知ってもらうことは、こんな日本人もいるんだと日本を見つめ直すきっかけになると私は思う。またそれは中国人が自分たちの生活をも見つめ直すきっかけになろう。
(2011年1月記)
山田晃三(やまだ・こうぞう 北京在住日本人)
1969年神戸市生まれ。兵庫県立御影高校を経て、1993年京都外国語大学中国語学科卒業。在学中に北京第二外国語学院へ派遣留学。大学卒業後また北京に戻り、北京師範大学大学院修士課程及び博士課程を修了。勉学の傍ら1991年より現在まで中国の伝統芸能・昆劇を学び、濃密な芸の世界にどっぷりはまりこむ。中国の現代劇や映画などにも出演。2007年『「白毛女」在日本』(文化芸術出版社)を中国で出版。座右の銘は「車到山前必有路」(チュータオシャンチィェン・ピーヨウルー=人生なんとかなるもんや)。
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